自伝的・爺ぃの独り言・05 星島 浩 <ブリヂストンタイヤとの付き合い>

[MONDAY_TALK] 2012年が明けてまもなく、ブリヂストンがエコピアの新製品発表&体感試乗会をグランパシフィックホテル台場で催した。

 ご多聞に漏れずタイヤもエコ流行りで、11年末に鳴り物入りで発売されたトヨタ・アクアが省燃費性能重視を理由にヨコハマのブルーアースを標準装着に加えたとアピールしたばかり。ためにブリヂストンもエコピア魅力を大々的に訴求せざるを得なくなったらしい。そう言えば、同じ東北産の新型カローラはエコピア装着車が多かった。

 タイヤが求める性能は多岐に亘る。装着されるクルマの性格やターゲットユーザーによっても違うから、マークXで体験した新製品エコピアの評価はともかく、1月半ばに乗ったアクアの15インチ版はブルーアースのほうが路面当たりが優しく、ロードノイズも低かった。

 自動車メーカーが部品なり用品を採用する場合、コストも重要課題だが、やはり車両コンセプトに適しているかどうかが重要な選択基準になる。とはいえ月産1万5000台超が予想されるアクアのタイヤを1銘柄に絞わけにはいかない。世界初のHV=初代プリウスは1銘柄に限られたが、当時は量産規模が小さかったし、特殊サイズゆえ代わりがなかった。

 さて今回は最近の話題で始めたが、ブリヂストンタイヤとの出会いは約60年前に遡る。まだ私が各種デザインやバイクメーカーのパーツリスト作りで忙しかった時期。ブリヂストンタイヤの広報&宣伝担当でいらした石井公一郎役員(政界の大御所・石井光次郎さんのご子息で、著名なシャンソン歌手・石井好子さんの弟君と聞いた)から依頼があり、タイヤの野立て看板製作をお手伝いしたのが最初だ。

 農家の壁などに掲げられるホーローびきの、近寄ると結構大きな看板で、全国津々浦々に設置する数百枚、いや千枚だったかもしれない。ホワイトリングを加えた乗用車タイヤの看板用原画作成である。実物より天地寸法を大きく描くのだが、ホーローびきゆえ細い線は印刷できない。それでいてタイヤ銘柄の特徴と力強さをシンプルに表現しなければならず、実際は細いタイヤを2倍以上ワイドに描いた。

 おそらく日本で初めてのタイヤ野立て看板だったろう。これが思いのほか好評を得たお陰で、その後も新聞や雑誌の広告用に数点描いた記憶がある。日本初のスパイクレス・スノータイヤもその一つ。

 粉塵問題が発端で、欧米並みに日本でもスパイクタイヤ使用禁止機運が高まった60年代半ば過ぎだったか。スパイクなしでも積雪路をしっかり掴み、凍結面に吸い付くイメージを表現したかった。メーカー以外がスノータイヤを集めて比較テストしたのは スパイク禁止論議が活発化した頃、札幌で中古車情報誌を出版していた友人と諮り、千歳空港に近い白鳥湖で実施。併設された観光ホテルに温泉と食堂があり、交通至便だったし、借用料も安かった。ほぼ全面が凍結。長めの直線を確保して複数のタイヤを比較するには好条件で、発進、加速、制動、車線変更や旋回性など数項目をテスト。

 出版社が話したのだろう、道庁や道警、メーカー関係者らが見学に訪れた。特にブリヂストンが熱心で、ホテル&湖のオーナーと交渉し、翌年からの専用契約を結んで帰った。私たちが締め出されたのは無理ない。使用日数、宿泊人数なと借用条件が違いすぎた。

 しかしスノータイヤ比較で私は冬期専有試験場の重要性を痛感していた。積雪・凍結路を走るタイヤに限らず、折しも新技術が開発途次にあったリミテッドスリップデフや4WDシステムのテストには、冬期の閉鎖型コースが欠かせないと考え、その冬の内に代替地を模索。千歳と苫小牧の中間にあり、いすゞ工場にも近い弁天沼を大蔵省管財局から継続して拝借すると決めた。水深1mほどで浅く、冬期は底まで凍るのと、周りの積雪面も広いので、各種試験に活用した。

 土・日は決まって地元のスポーツクラブがイベントを催したほか、テストのないときはマスコミに解放。新車試乗やCM撮影にも重宝がられた。居合わせなくて残念だったが、アウディの総帥=ピエヒ博士がクワトロ走行実験の途次、弁天沼を訪れたこともある。ただ、凍るのは早いが、解けるのも早い。1月半ば〜3月半ばまでの2ヶ月だけ。その間、5、6回、約15日間を現場で過ごした。★