【SUZUKI KATANAデザイン考/千葉匠】新型スズキ・カタナに見る名車復活デザインに必要なものとは?

■ミニ、ビートル…名車復活デザインに必須な用件とは?

●社外提案から始まった新型カタナ

新型カタナの特設サイトを覗くと、開発者インタビューの冒頭で寺田覚チーフエンジニアが、次のように語っている。「2017年のミラノショーに、社外デザインによるプロポーザルが発表されました。カタナというレガシーをどう継承していくのか、を模索していたスズキの想いとも合致しました」

17年にミラノに登場したのは、スズキ GSX-S1000Fをベースとする”カタナ3.0”というプロトタイプ。イタリアの二輪雑誌” MOTOCICLISMO”( モトチクリズモ)が企画し、デザインをロドルフォ・フラスコリ、エンジニアリングと製作をボローニャのエンジンズ・エンジニアリング社が手がけたものだった。

モトチクリズモの企画意図は「80年代の最も革新的なバイクであり、当時としては大胆すぎるデザインだったカタナ1100に再び命を与える」こと。同誌のホームページには、「クレージーなアイデア」と自嘲しながらも、「冷やかしではなく、かつてないほど興味深く革新的なバイクに敬意を表したいと考えた」と綴られている。

ロドルフォ・フラスコリはモトグッチ・グリソ、トライアンフ・スピードトリプルなどで、すでに実績あったデザイナー。エンジンズ・エンジニアリングは1979年の創業以来、バイクのプロトタイプ開発や実験評価で定評を得ていた。モトチクリズモはいわばドリームチームを編成し、「クレージーなアイデア」を具現化したのである。

その提案にスズキが動いた。これもまたカタナのヘリテージの一部と言えるのかもしれない。バイクファンならご存知のように、1981年のオリジナルのGSX1100Sカタナも、社外のデザイン提案を発端に生まれたからだ。

●BMW出身者が生んだ初代カタナ

ときは1978年に遡る。BMWのバイク部門で、デザイナーのハンス・ゲオルク・カステンが次世代の野心的なスポーツバイクのデザインを考えていた。カステンはかつてポルシェで後輩だった英国人デザイナーのジャン・フェルストロムをBMWに誘ってプロジェクトを進めたが、保守的な技術陣は生産化を許さない。そんなカステンの不満に手を差し伸べたのが、ハンス・ムートだった。

TargetDesign_Katana(CarStyling Vol.73)

ムートは1971年からBMWで乗用車インテリアとバイクのデザインを率いていたが、バイク部門の将来に対する経営方針に疑問を抱いて79年に退社。ドイツ・スズキのためにジムニーのアクセサリー部品をデザインする一方、バイクのプロジェクトをドイツ・スズキに提案した。それを実行するために、彼が元部下のカステンとフェルストロムを誘い、3人で設立したのがターゲットデザインというデザイン会社だ。

ターゲットデザインの初仕事は、後にGS650Gカタナとなる”ED-1”だった。EDはヨーロピアン・デザインの略である。それがスズキ本社で評価され、フラッグシップのGSX1100Eをベースとする”ED-2”の開発がスタート。80年9月のケルンショーで、GSX1100Sカタナとしてデビューした。

●自身のライディング経験、機能から発想した初代カタナのデザイン

80年当時、スポーツバイクのデザインは、ようやくタンクとサイドカバーを一体的に見せ始めたところだった。いわゆるレーサー・レプリカを除けば、カウルはフロントフォークに取り付ける小型なもの。そんな時代に初代カタナはカウルからタンク、サイドカバー、さらにシートまでを連続的に、立体的に、ダイナミックに表現してみせた。

GSX1100S

とくに画期的だったのは、ヘッドランプを組み込んだ小さなカウルをフロントフォークから切り離し、フレーム側に取り付けたことだ。デザイナーのカステンはカウルにかかる風圧がハンドリングに与える悪影響を、自身のライディング経験で感じていたという。

カウルを車体付けにしたからこそ、カウルとタンクを一体的に造形できた。ニーグリップしやすいようにサイドカバーはタイトに引き締め、それをタンク下端につなげながら、そこから上は(ライダーの膝より上は)ワイドに張り出させてタンク容量を稼ぐ。この張り出しのシャープなラインをカウルへと延ばしたことが、初代カタナのスタイリング上の最大の特徴だ。

つまりカステンは、カウルの空力、ニーグリップ、タンク容量という機能要件から発想して、初代カタナをデザインした。機能を追求すれば美しくなるわけではもちろんなく、そこに彼の卓越した造形センスがあったことは間違いなのだが・・。

●名車復活の巧いデザイン

BMWが2001年にミニを再生したとき、チーフデザイナーのゲルト・ヒルデブラントは「もしもミニが他のクルマのようなサイクルでモデルチェンジしたとしたら、今はどんな姿になっているか? それを想定してデザインした」と語っていた。同じ主旨の言葉を、VWのザ・ビートルのデザイナーからも聞いた。

BMW Mini

歴史の名車を蘇らせるからといって、オリジナルに似せればよいわけではない。DNAをしっかり表現しながら、時代分の進化も見せなくてはいけないのだ。そしてその進化は、しばしばハード面からもたらされる。例えばミニはボディとタイヤ径を拡大し、ザ・ビートルはワイドトレッドを得た。

では、新型カタナはどうか? シャシーは最新のGSX-S1000。左右の太いバックボーンフレームがエンジンのヘッドを抱えるように斜めに降りていく。その上にタンクとサイドカバーが載るから、こういうバックボーンタイプのフレームを持つバイクはタンク上面が高い。そこがダブルクレードル・フレームだった初代カタナとの大きな違いなのだが、それをデザインに活かし、高いタンク上面からカウルへ下降するダイナミックさを初代よりさらに強調。カウルを前方に延ばしたことも、ダイナミズムに寄与している。

シャシーが進化した分、カタナ独特のダイナミックさが強まった。名車を復活させるデザインとして、これは巧い解答と言えるだろう。ただし、気になるところもあるのだが・・。

●タンクのラインの哲学は?

タンクからカウルにシャープなラインを通したのは、”カタナらしさ”を象徴的に表現するもの。ただし新型の場合、カウルからサイドカバーに向けて斜めに下降するラインもある。2つのラインが交差するため、”らしさ”を象徴する前傾ラインの存在感がちょっと弱いのが残念だ。

さらに、新型のタンクに刻まれているラインは、たんなる折れ線ではない。タンク側面に三角断面を彫り込んでいる。いったん凹ませ、また出すことでサイドカバーにつなげているのだ。これも初代カタナとは違う。

前述のように初代は、ニーグリップしやすいスリムなサイドカバーをタンク下端につなげ、そこからタンクをグッと広げたところにシャープな折れ線を入れていた。逆に言うと、タンク下端をギュッと絞っていた。

しかし新型のバックボーンフレームは、エンジンのヘッドの外側を通るほどワイドだ。それに合わせてサイドカバーもタンク下端も外に出る。だからたんなる折れ線で済ませることはできず、シャープな三角断面を刻むことになったのだろう。三角断面が生み出す光と陰の豊かな表情は魅力的だが、そこにニーグリップ重視という初代カタナの哲学はない。

●受け継ぐべきは哲学

三角断面でも”カタナらしさ”は表現できたが、新世代のフレームに対応することに追われた新型カタナは、オリジナルの哲学の一部を見失った。4輪車で言えば、VWのニュービートルがこれだ。

元祖ビートルのサイドビューを前後のフェンダーとルーフという3つの円弧に要約し、それをアイコニックに表現したのがニュービートルのデザインだった。ポルシェ博士はスペース効率や軽量化、空力などを追求してあの元祖ビートルをデザインしたが、その哲学はニュービートルには一切受け継がれなかった。

New Beetle
The Beetle

結果は・・、ニュービートルは短命に終わり、しばしのブランクを経てザ・ビートルが誕生。ワイドトレッドの北米パサート用プラットホームを得たザ・ビートルは4人分の室内空間を確保しつつ、元祖のように丸い前後フェンダーを張り出すことができた。しかしそのザ・ビートルも、すでに生産が打ち切られている。

こうした過去の教訓を思えば、名車復活のデザインにおいて、見た目の”らしさ”だけが大事なのではないことは明らかだろう。そこを新型カタナの開発陣がどう受け止め、次なる改良に活かしていくかに期待したい。初代は20年のロングライフを誇ったが、人気ゆえに自縄自縛となって進化できず、時代に取り残された。話題沸騰中の新型カタナではあるけれど、もう自縄自縛になってはいけない。名車とは進化し続けるものなのだ。

(千葉 匠)

この記事の著者

小林和久 近影

小林和久

子供の頃から自動車に興味を持ち、それを作る側になりたくて工学部に進み、某自動車部品メーカへの就職を決めかけていたのに広い視野で車が見られなくなりそうだと思い辞退。他業界へ就職するも、働き出すと出身学部や理系や文系など関係ないと思い、出版社である三栄書房へ。
その後、硬め柔らかめ色々な自動車雑誌を(たらい回しに?)経たおかげで、広く(浅く?)車の知識が身に付くことに。2010年12月のクリッカー「創刊」より編集長を務めた。大きい、小さい、速い、遅いなど極端な車がホントは好き。
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