2011年本田技術研究所は、50周年を記念して新製品の社内コンテストを開催。4輪部門400件の応募の中でグランプリを受賞したのが「速さよりも運転が楽しいと思えることを追求した軽スポーツカー」の提案でした。
応募した椋本さんは、当時22才の若手モデラー。そしてホンダは新型軽スポーツカーの開発を決めると共に、彼を開発責任者に大抜擢したのです。
開発プロジェクトでは、補佐役として開発のベテランを付けると共に、社内公募で熱いハートの若手社員を集めました。しかし開発チームが発足した数日後に、東日本大震災が発生。新型S660は、リーマンショックの後遺症と円高、更に大震災とタイの水害といったホンダ未曾有の逆風の中で、「本物のスポーツカー」を目指して開発が進められたのです。