ル・マン24に林義正教授が東海大学で挑んだ足跡とは!

数年前に「東海大学がル・マンに出場!」というニュースを見た記憶があります。ル・マンと言えば24時間耐久レースで、日本メーカーではマツダしか勝てていない欧州フランスの伝統と権威ある過酷なレース。大方「大学が、旧式のレースカーを購入して出場したのかな?」と思っていたら、さにあらず。書籍「ル・マン24時間− 闘いの真実−」には、日産の敏腕レースエンジニアで東海大教授に就任した林義正さんと東海大学の学生達による、11年間に渡る「レースマシン開発とル・マン参戦の物語」が克明に記録されていました。

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■ダメ学生の救済カリキュラムの予定が、ル・マン挑戦チームへ大変貌!

林さんが東海大教授に就任した頃、大学では設計図を丸写しする「設計コース」を企画していました。要は、設計できない学生の卒論代わりのカリキュラムなのですね。林さんはこれを引き受けて「開発コース」と名称を変更し、具体的かつ実践的な学生主体の研究コースとして開講。そして「リーンバーン」や「超高速用バルブ」といった技術開発の実績を積み重ねていきました。そして遂に6年後の2000年、東海大学総長の「モータースポーツ研究の成果をル・マンで公表する」という事実上の「ル・マン参戦宣言」によって、ル・マンへの「夢」が一気に「挑戦」として現実化したのです。

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■できる限り学生自身でやり抜き伝承する

いくら教授が常勝チームのレースエンジニアでも、主役の大学生・院生は数年しか在籍しないズブの素人。しかも、予算も設備も必要要件に比べれば微々たるもので、できることは限られています。そこで林さんは、チーム毎・年毎に開発テーマを設定して、技術とノウハウを蓄積する方式を採用。そして学年を混在してチームを編成し、後輩への伝承をはかりました。更に全体最適に向かうように、チームリーダー横通しの打合せを織り込み、自律的な進化を促す体制を構築したのです。そして2008年のル・マン参戦を目指し、メインパーツをメーカーから調達。学生達はチーム毎に、エンジン・シャッシー・ボディ・人間工学・走行実験・製作の役割を担い、マネージャー班の調整の元、レースマシンの製作に挑みました。

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■ル・マン挑戦! 見事予選を突破、本選は惜しくも18時間でリタイヤ

2008年のル・マン参戦に際しては、まず、初挑戦の大学チームを受け入れたル・マン事務局の度量と英断に頭が下がります。プロドライバーを擁した大学チームは、見事予選を突破してル・マン本選に進出。本選でも、学生達は鍛錬したピットワークを発揮して、小トラブルを克服しながら周回を重ねていきました。ただ雨でスピンした際に、大事な駆動系に痛手を負ってしまい、残念ながら18時間経過時にリタイヤを余儀なくされてしまいました。勝負に「たられば」は言いっこなしですが、大学チームが24時間レースを走り切る性能を有するマシンを製作したことは、世界初の快挙であり本当に素晴らしいと思います。

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■もう一度、本場ル・マンに行かせてあげたかったと痛感・・・

ル・マンはクルマ文化の最高峰に位置するレースですが、参加には莫大な費用がかかります。リーマンショックが、学生を応援していたスポンサー企業と大学を直撃。予算が集まらない上に、大学の方針も変更となり、残念ながら本場ル・マンへの再出場はかないませんでした。その後は、予算も物資もない中、学生達は魂を込めてアジアや国内レースに参戦。クラッシュしてカウルが大破した時も、皆で泥臭く手作業で修復し、コースに送り出したこともありました。しかし学生達の熱意とは裏腹に、大不況が継続を許してくれず、最後は林さんの退任でプロジェクトは幕を閉じたのです。

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「ル・マン24時間− 闘いの真実−」で感銘を受けたのは、学生達の飛躍的な成長です。林さんは、実践教育の素晴らしさを訴えています。自分自身、本を読み進める中で「強いて勉めるのが勉強、問うて学ぶのが学問」という言葉を何度も思い浮かべました。林さんと東海大学の学生達は、偏差値教育の「勉強」ではなく、知的好奇心を追及し目的を達成するための「学問」を積み重ね、「人間教育」を実践していたのです。「ル・マン24時間− 闘いの真実−」は非常に感銘深いですし、東海大学HPにもル・マン参戦模様が掲載されていますので、レースファンの方々に是非ともオススメしたいと思います。

画像は東海大学HP「東海大 ル・マンプロジェクト」から引用させて頂きました。
■東海大 ル・マンプロジェクトhttp://www.u-tokai.ac.jp/lemans/2008/index.html 

(拓波幸としひろ)

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