トヨタ 86・スバル BRZ、それぞれの「すべて本」に先行して、2月に「速報トヨタ86&スバルBRZ」が出版されました。「すべて本」シリーズ30年の歴史でこのようなスタイルははじめての試みでしょう。
今読み返すと2台の「すべて本」によって明らかになった本音や秘話が見え隠れして、大変興味深いですね。そこでここでは、トヨタとスバル間で「水平対向+FR」企画が共有されるまでの経緯について、振り返ってみたいと思います。
トヨタでの始まりは、07年1月の役員会でした。そこで「スポーツカーを造るべし。そこから逃げている限り、世のクルマ離れ、ひいてはクルマ好きのトヨタ離れは止まらない。」と、当時副社長だったモリゾウ社長も強く推進したのだそうです。
こうしてTV番組「相棒」の「特命係」のようなプロジェクトチームが発足した訳ですが、開発責任者の多田さんと今井さんの「2人だけ」というのがホント嘘みたいですよね。 そして「つくるべきは現代のAE86!」というコンセプトを固め、「エンジンは水平対向かロータリーのFRたるべし!」という結論に達したのだそうです。
一方、ここで注目すべきはスバルです。
多田さんのプロジェクトに先立つ04年頃、スバルでは「低重心プロジェクト」が先行開発として行われ、重心位置可変の試作車を製作。
その結果「水平対向エンジンの低重心メリットを極限まで引き出すには、FR化する必要がある。」という成果を得るに至ったのだそうです。
当然スバル開発陣は、よそから言われるまでもなく「水平対向+FR」のポテンシャルを充分理解していたはず。しかし「4WD命のスバル」にとっては現実解でなく、研究成果はお蔵入りしてしまいました。
そして「大きな運命」がここで動きます。05年にGMがスバル株をトヨタに譲渡し、トヨタとスバルに資本関係が生まれたのです。
とはいえ、06年に発表された合意事項には「新車共同開発」も盛り込まれていたものの、しばらく具体的な進展はなかったとのこと。
ちなみにもしあの時、スバルがNECと共同開発していた「レトルトパック式のリチウム電池」をトヨタが取り込んでいれば、今頃ブリウスは全車標準でPHVだったりして・・・、な〜んて、まさかこんなに日産で大化けするとは思っていませんでしたが、あの時点で独創のリチウム電池技術を手離したのは「もったいない!」と思いましたもん。タラレバ御免m(_ _)m
そしてトヨタの多田さんが、この資本提携に目を付けて、07年にスバルに企画を持ち込んだのが始まりだったそうです。
こうして見るとタイトルの言い出しっぺは、企画に命を吹き込んだ「トヨタ」に軍配が上がります。でも決して、全くのゼロスタートではありませんでした。
きっと「スバルの先行研究」は、ある時は基礎データとして、またスバルのプライドとして効いていたと勝手に想像しています。
こうしてまさに「昨日の敵は今日の友」ではありませんが、「スバルの先行技術開発」と「トヨタのこだわり抜いた企画」が、運命の出逢いを果たしたのでした。
(この勝負、トヨタに座布団一枚!@拓波幸としひろ)