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■田部井淳子が女性初のエベレスト登頂に成功
1975年(昭和50)年5月16日、日本女子登山隊の田部井淳子が、女性初のエベレスト登頂に成功しました。エベレストの標高は8848mですが、8000mを超えると使える酸素が平地の30%程度にまで減ってしまうので、どんなに体力のある人でも自由に体が動かせないそうです。ちなみに、田部井淳子は女性初の六大陸最高峰登頂、七大陸最高峰制覇など数々の偉業を成し遂げた女性登山家の草分け的存在です。
5月16日には、アナウンサーの大下容子、相撲の北の湖敏満、野球の下柳剛、米シンガーのジャネット・ジャクソン、アルゼンチン人テニスプレイヤーのガブリエラ・サバティーニ、米俳優のヘンリー・フォンダなどが生まれています。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょうか?
●もはや伝説となった名車トヨタ2000GTがデビュー
1967年(昭和42)年5月16日、トヨタから伝説のスポーツカー「2000GT」がデビューしました。ヤマハと共同で開発されたトヨタ2000GTは、発売前からプロトモデルが鈴鹿1000kmレースで優勝し、矢田部高速試験場での高速耐久トライアルでも世界記録を樹立など、実力を実証済みでした。
ロングノーズにリトラクタブルライトを組み込んだ流線型ボディ、インテリアについてもローズウッド材のインパネやレザーのバケットシートなどを装備して、スポーティかつ高級感を演出。ヤマハ主導で開発したエンジンは、2.0L直6 DOHCにソレックス・キャブ3連装の組み合わせ、最高出力は150PSを誇りました。最高速度220km/h、0-400mは5.9秒、0-100km/hは8.6秒と、ずば抜けた動力性能が大きな魅力でした。車両価格も破格で、当時のクラウンの約2倍の238万円。大卒初任給が2万5000円の時代だったので、今なら2000万円程度でしょうか、まさしく庶民には手の届かないスーパーカーでした。
日本を代表する高性能スポーツモデルとして君臨したトヨタ2000GT。日本の技術が世界レバルに到達したことを証明した貴重なクルマだったのです。
●軽のホットモデルの火付け役となったダイハツ・フェローSSがデビュー
1968(昭和43)年5月16日、ダイハツ「フェロー」のスポーツモデル「フェローSS」がデビューしました。
ベースのフェローは、ミゼットなど商用車ですでに実績のあったダイハツが、1966年に初めて投入した軽乗用車です。日本初の角型ヘッドランプを装備した箱型ボディに、360ccの2気筒2ストロークエンジンを縦置きしたFR駆動でした。そのような中、1967年に最高出力31PSを誇った「ホンダN360」が登場し、爆発的な人気を集めます。
ダイハツは対抗するため、翌年1968年にフェローのスポーツモデルとしてフェローSSを投入します。フェローをベースに、圧縮比を9.0から10.6に上げ、2キャブレターを採用、さらにグリルの改良などでエンジンの冷却性能を改善して、最高出力を21PSから一気に32PSまで向上。N360を凌ぐフェローSSの走りは、当時は珍しかった本格的なスポーツモデルとして多くのユーザーを魅了しました。
フェローSSの成功が、各社がスポーツモデルを開発するきっかけになり、スズキは「フロンテSS」、三菱は「ミニカGSS」、スバルも「ヤングSS」を設定。フェローSSは限られた排気量の軽自動車で極限までパワーを追求するホットモデルの火付け役となったのです。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)