ホンダ初の乗用車「S500」は、なぜスポーツカーSシリーズの第1弾になったのか【歴史に残るクルマと技術014】

■ホンダSシリーズの先陣を切ったオープンスポーツS500

1963年にデビューしたS600。ホンダ初の乗用車、Sシリーズ第一段
1963年にデビューしたS500。ホンダ初の乗用車、Sシリーズ第一段

1963(昭和38)年10月、ホンダから初の乗用車「ホンダS500」が発売されました。

2輪車で成功したホンダ初の4輪車は、軽トラック「T360」でしたが、乗用車としてはS500が最初でした。同時に、ホンダスポーツの象徴Sシリーズの第1弾でもあったのです。


●ホンダの起源は、自転車補助用エンジンの製造から始まった

ホンダの起源は、戦後間もない1948年、本田宗一郎氏が静岡県浜松市に創立した「本田技研工業」です。まず取り組んだのが、自転車補助用エンジンの製造で、1947年に自社製「A型エンジン」を完成させます。

本格的な2輪車「ドリームD型号」
本格的な2輪車「ドリームD型号」

その直後から、本格的な2輪車の自社製造に取り組み、1949年に「ドリームD型号」の生産を開始。ドリームD型号は、排気量98ccの空冷2ストローク単気筒エンジンを搭載、最高出力3PSで最高速度は50km/hでした。

1958年のスーパーカブC100。現在も世界中で大ヒットしているスーパーカブ
1958年のスーパーカブC100。現在も世界中で大ヒットしているスーパーカブ

1952年に登場した「カブF型」は、白いタンクに赤いエンジンカバーが特徴で、扱いやすい2輪として人気を獲得。さらに1958年にデビューした「スーパーカブ」は世界的な大ヒットとなり、その後も世界中で愛され続け、2017年には生産1億台という偉業を達成しました。

また、2輪車の国際レースにも積極的に参戦し、1961年にはマン島TTレースで優勝を飾るなど、モータースポーツでもホンダの名を轟かせ、2輪車で“世界のホンダ”へと飛躍したのです。

●2輪の成功を基盤にして4輪へ進出、まずは軽トラックT360投入

2輪車で成功を収めたホンダは、1950年代後半には4輪車事業への進出を目指して開発に着手しました。

ところが1961年に、政府は“特定産業振興臨時措置法案(特振法)”の策定を開始。これは、日本の産業の国際競争力を強化するために、既存の自動車メーカーを優遇する法案であり、これが制定されれば当時2輪車しか作っていなかったホンダは、4輪車事業への参入が困難となる可能性があったのです。

1963年に登場したホンダ初の4輪車T360
1963年に登場したホンダ初の4輪車T360

そこでホンダは、急いで4輪車を市場に投入することを決断。1962年10月の全日本自動車ショー(その後、東京モーターショー/ジャパンモビリティショーに改名)に軽トラック「T360」とオープンスポーツの「S360」、「S500」の3台を発表。翌1963年に、まずホンダ初の4輪車となるT360を発売しました。

エンジンは、最高出力30PS/8500rpmの360cc直4 DOHCに4連キャブを装着し、しかもミッドシップレイアウトを採用し、まるで高性能スポーツカーのような仕様でした。これは、オープンスポーツも一緒に開発していたので、仕様を極力共用化するためだったと思われます。

●ホンダ初の乗用車となったオープンスポーツS500

公開されたオープンスポーツのS360とS500でしたが、実際に市販化されたのはS500だけでした。特振法対策のために急いだこと、また軽よりも小型車の方が実績として認められやすいと考えたことが、その理由でした。

本田S500の主要諸元
本田S500の主要諸元

スタイリングについては、こだわりの強かった本田宗一郎氏の意向が反映したとされ、ロングノーズと軽快な印象を強調するウエストラインが後方でキックアップするラインがSシリーズを特徴づけました。足回りは、フロントがダブルウィッシュボーン、リアはトレーリングアームで、後端はコイルとダンパーで支持されました。

パワートレインは、最高出力44PS/最大トルク4.6kgmの531cc直4 DOHC 4連装キャブのエンジンと4速MTの組み合わせ、駆動方式はFR。トルクフルで最高出力回転8000rpmまで一気に吹き上がる加速性能が大きな魅力でした。

車両価格は、本格的スポーツカーとしては低価格な45.9万円。当時の大卒の初任給は、1.9万円程度(現在は約23万円)、単純計算では現在の価値では約550万円となりますが、当時は本格スポーツカーとして決して高くないという評価だったようです。

●これまで登場したホンダSシリーズ

その後Sシリーズは、排気量を拡大しながらS600、S800へと展開し、その後一旦長く途絶えましたが、2000年を迎えてS2000とS660が復活を果たしました。

・S600(1964年~1966年)
S500は優れた走りを発揮しましたが、海外進出を意識してさらに高出力化が必要という判断から、S500は僅か半年足らずで生産を終え、排気量を600ccに拡大した「S600」が登場。スタイリングはほとんど変わりませんでしたが、最高出力が57PSに向上、最高速度は145km/hと、海外でも通用する走りに進化しました。

・S800(1966年~1970年)
排気量をさらに800ccに拡大した「S800」は、最高出力が70PSまで向上。最高速は160km/hに達し、さらに高性能化が進められました。

1999年にデビューしたS2000
1999年にデビューしたS2000

・S2000(1999年~2009年)
ホンダの創立50周年記念として、S800の生産終了から29年の時を経て、1999年に登場した「S2000」。最高出力250PSを発揮する2.0L直4 VTECエンジンをフロントミッドシップに搭載しました。残念ながら2009年に生産を終えましたが、今でも根強い人気があり、中古市場でも高値で推移しています。

2015年にデビューしたS660
2015年にデビューしたS660

・S660(2015年~2022年)
S660は、660cc直3 DOHCターボエンジンによるハイパワーとMRレイアウトで実現される、理想的な前後重量配分が特徴でした。軽快な走りとハンドリングが、多くのスポーツカーファンを魅了しましたが、2022年3月に惜しまれながら生産を終了しました。

●S500が誕生した1963年は、どんな年

1963年には、いすゞ自動車から「ベレット」も登場しました。

1964年に登場したいすゞベレット1600GT
1964年に登場したいすゞベレット1600GT

ベレットは、丸型2灯ヘッドライトに、丸みを帯びたスマートなフォルムのセダンでしたが、翌1964年には日本で初めてGTを名乗った高性能バージョン「1600GT」も登場。4人乗りの2ドアクーペで、1.6L直4 OHV SUキャブ2連装で最高出力88PSを発揮し、GTの名に相応しい走りが自慢でした。

ベレット1600GTに続いて、1965年に日産自動車「スカイライン2000GT」、1967年に「トヨタ2000GT」が登場したのです。

その他、この年にはケネディ米大統領暗殺、名神道路開通、TVアニメ「鉄腕アトム」放映開始、日清食品「日清焼きそば」と江崎グリコ「プリッツ」が発売されました。また、ガソリン45円/L、ビール大瓶115円、コーヒー一杯65.6円、ラーメン48円、カレー116円、アンパン12円の時代でした。


当時としては極めて先進的な(DOHC+4連装キャブ)の高性能エンジンを搭載した、ホンダのスポーツカーSシリーズの先駆けとして登場したホンダS500、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いありません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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