3年間、トヨタ、日産でなく生産台数日本一のメーカーとなる東洋工業初の乗用車、マツダ「R360クーペ」と「キャロル」【歴史に残るクルマと技術013】

■先進の4気筒アルミエンジンを搭載したキャロル登場

1962年にデビューした初代キャロル、先進的なアルミ製360cc水冷4ストローク4気筒エンジン搭載
1962年にデビューした初代キャロル、先進的なアルミ製360cc水冷4ストローク4気筒エンジン搭載

1962年2月23日、東洋工業(現、マツダ)から軽乗用車「キャロル」が発売されました。

1960年にマツダ初の乗用車としてデビューした「R360クーペ」に続いて、静粛性に優れたアルミ製水冷4気筒4ストロークエンジンを搭載した、軽としては先進的な技術満載のファミリーカーでした。


●東洋コルク工業に始まり、3輪トラックで成功した東洋工業

マツダのルーツは、1920年の東洋コルク工業まで遡ります。東洋コルク工業は、その名の通りガラス瓶を塞ぐコルク栓や断熱材などに使うコルクを製造する会社として設立。創業の翌年に、松田重次郎氏が2代目社長となり、将来性を見据えて機械製造への進出を図り、1927年に社名を東洋工業へと変更します。

折しも日本は、戦争に備えて軍備を強化している時期で、東洋工業は戦闘機のエンジンやプロペラ、精密機器の製造などの大量受注によって、会社は急成長。この成功と培った技術をベースに、自動車製造に参入し、バイク製造を経て、それを利用した3輪トラック(オート3輪)へと進み、1931年に投入した3輪トラック「マツダ号DA型」は、大ヒットを記録しました。

終戦後、3輪トラックの生産を再開、終戦後は物資の輸送のために3輪トラックが大人気となったため、東洋工業は3輪トラックのトップメーカーへと躍進したのです。

●マツダ初の乗用車R360クーペを投入

乗用車が徐々に増え始めた1960年、 “国民車構想”に呼応する形で、マツダ初の乗用車R360クーペが市場に放たれました。

国民車構想は、1955年に政府が乗用車の開発を促進するために提唱したもので、規定の条件(排気量350~500ccで最高時速100km/h以上と車速60km/hでの燃費30km/Lを達成し、定員4名で販売価格25万円以下)を満たした場合に、国がその製造と販売を支援するという内容です。

1960年にデビューしたマツダ初の乗用車R360クーペ
1960年にデビューしたマツダ初の乗用車R360クーペ

すでに人気を博していた「スバル360」の対抗馬として投入されたR360クーペは、2人の大人と2人の子どもが乗れるスポーティなクーペでした。最大の特徴は、モノコックボディと軽量エンジンで、当時の乗用車の中で最も軽い380kgの軽量ボディを達成したことです。

パワートレインは、360cc空冷2気筒の軽乗用車初の4ストロークエンジンと4速MTおよび2速ATの組み合わせで、軽快な走りでスバル360に続くヒットモデルとなりました。

●先進のアルミエンジンを搭載した実用性に優れた4人乗りキャロル

クリフカットと呼ばれたルーフ後方を大胆にカットしたキャロルの斬新なスタイリング
クリフカットと呼ばれたルーフ後方を大胆にカットしたキャロルの斬新なスタイリング

R360クーペに続いたマツダの乗用車第2弾が、1962年にデビューしたキャロルです。R360クーペが基本的には2人乗りのスポーティなクーペだったのに対し、キャロルは大人4人が乗れるファミリーカーという位置付けでした。

4人乗車のスペースを確保するため、ルーフ後方を大胆にカットし絶壁のようにリアのウインドウを立ち上げている「クリフカット」と呼ばれた斬新なスタイリングが特徴でした。モノコックボディのリアにエンジンを横置き搭載したRR(リアエンジン・リアドライブ)で、前後にトレーリングアーム/トーションラバー式サスペンションを備えるなど、先に登場したR360クーペの設計思想が継承されました。

キャロルの主要スペック
キャロルの主要スペック

注目のエンジンは、軽乗用車としては初のオールアルミ合金製の358cc水冷4気筒4ストロークエンジン。当時の軽としては珍しい4ストロークで、しかも4気筒エンジンという先進性の高いエンジンでした。リア搭載で空冷エンジンのR360は、エンジン音がうるさく暖房能力が弱いという課題がありましたが、キャロルはこれらの課題を解消したのです。

車両価格は、ベースグレードで47万円。当時の大卒の初任給は、1.7万円(現在は約23万円)程度、単純計算では現在の価値では約640万円です。軽自動車としては贅沢な装備のキャロルは、本格的なファミリーカーを求めるユーザーに支持され、R360クーペ以上のヒットモデルとなりました。

●勢いづいた東洋工業は、1960年から3年間、国内生産台数トップの座に

キャロルは、好調なセールスを背景にバリエーション展開を積極的に進めました。

まず発売3ヶ月後の1962年5月に装備を充実させた「デラックス」、11月にはエンジンを586ccに拡大した小型乗用車「キャロル600」、さらに1963年9月には軽乗用車初の4ドアを設定、同時にエンジンのパワーアップも図られました。

バリエーションを増やし、軽らしからぬオーバークォリティとも思える贅沢な仕様のキャロルは、市場で高い評価を得て、一時的にはスバル360を凌ぐセールスを記録したこともありました。

以上のようなR360クーペ、キャロルのヒット、さらに戦後長く続いた好調な3輪トラックの後押しによって、東洋工業は1960年には年間生産台数で遂に日本一の座を奪取。その後1962年までの3年間、トヨタと日産自動車を抑えて生産台数トップの座に君臨したのです。

●キャロルが誕生した1962年は、どんな年

1962年には、三菱自動車から軽乗用車「ミニカ」と、日産自動車の「フェアレディ1500」も登場しました。

1962年にデビューした三菱・初代ミニカ
1962年にデビューした三菱・初代ミニカ

ミニカは、戦後本格的に乗用車事業に進出した新三菱重工(後の三菱重工、三菱自動車の前身)から、初の軽乗用車として登場。359ccの2気筒2ストロークエンジンを搭載し、駆動方式は当時主流のRRでなくFR、広いトランクスペースを持つ3ボックスタイプがアピールポイントでした。

1962年に登場した日本初の本格オープンスポーツの日産・ダットサン・フェアレディ
1962年に登場した日本初の本格オープンスポーツの日産・ダットサン・フェアレディ

フェアレディ1500は、現在も日産のスポーツモデルのフラッグシップとして君臨する「フェアレディZ」の元祖的な存在。国産初の本格スポーツカーとされ、1963年の第1回日本グランプリレースではスポーツカークラスで圧倒的な強さを見せて優勝を飾りました。

その他、この年には戦後初の国産航空機YS-11(日本航空機製造)が初飛行し、堀江謙一氏がヨットで日本人初の太平洋横断に成功、映画「007」シリーズ第1作が公開、大正製薬の「リポビタンD」が発売されました。また、ガソリン45円/L、ビール大瓶125円、コーヒー一杯64円、ラーメン45円、カレー110円、アンパン12円の時代でした。


先進的なアルミ製、水冷、4ストローク、4気筒といった、当時の軽自動車としてはオーバークォリティとも思えるような先進的なエンジンを搭載したキャロル、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いありません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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