ラリージャパンでなにかと話題となった「伊勢神トンネル」は有名な心霊スポットだった!?

■伊勢神トンネルは県内で最も有名な心霊スポット

●クラッシュ、炎上…このトラブルはトンネルの祟りだったのか?

サービスパークとなった豊田スタジアムに延べ6万人近くが来場し、日本人の勝田貴元選手が3位表彰台を獲得する活躍を見せた、2022年FIA世界ラリー選手権第13戦「フォーラムエイト・ラリージャパン2022」。Day3のSS2およびSS5に設定された「Isegami’s Tunnel」が一部のファンの間で話題になっています。

Isegami’s Tunnel入り口側
トンネル入り口脇には民家もあり、メディアポイントとして設定されていた。ただ、終日日陰で薄気味悪いポイントではある

「伊勢神トンネル」は、国道153号にあるトンネルです。愛知県豊田市の伊勢神峠(標高780m)は、名古屋と長野の飯田市を結ぶルートで、「中馬(馬の背中に荷物を載せて輸送すること)街道」とも呼ばれ、海産物や木炭などの輸送はもちろん、長野の善光寺参りにも利用された街道の内の、難所のひとつ(現在も木材の運搬ルートとして活用されています)。

伊勢神の名は、この峠の頂上に伊勢神宮の遥拝所が設けられたことに起因します。遥拝とは、直接参拝ができなくても、遠く離れた場所からでも神仏を拝むことができるということを指し、この遥拝所は、日本の総氏神様である伊勢神宮の方向を向いて拝むことができる場所となっていました。

Kalle ROVANPERÄ/Jonne HALTTUNEN(TOYOTA GR Yaris Rally1 HYBRID)
K.ロバンペラは霧のない状況でこの場を通過していく。が、その69号車の後を追うように、トンネル出口周辺には濃い霧が漂い始める

その峠に1897年(明治30年)にできたのが「伊世賀美隧道」です。「天城越え」でおなじみの伊豆の天城山隧道と同じ石巻造りで、延長308m、幅員3.2m、高さ3.1m。つまり、道幅がほぼ車両一台分しかない狭いトンネルです。

現在のトンネルとの識別のため「旧伊勢神トンネル」と呼ばれていますが、「伊世賀美」が正式な名称です。

ちなみに現在、国道153号で使用されている「伊勢神トンネル」は、1960年(昭和35年)に開通。こちらは延長1245m、幅員6.5m、高さ4.5mというサイズです。

●「Ghost Tunnel」は肝試しスポット。心霊体験も多数あり…!

Ott TÄNAK/Martin JÄRVEOJA(#8 HYUNDAI i20 N Rally1 HYBRID)
この日2台目となる、O.タナックが通過するタイミングでは、この状況。わずか3分弱ではこの霧が晴れることは無い

この伊勢神トンネル、愛知県民にとっては極めて有名な心霊スポットなのです。旧道にあるトンネルということで、利用者は極めて少なく、夏場は肝試しに使用されるような場所でもあります。

筆者も30年以上前に、免許取りたてのタイミングで、強制的に先輩たちに引きずられて、夜中に走りに行かされたことがあります。が、それ以来、近づいたことすらありません。

ラリージャパンのコース設定案には、当初から組み入れられていましたが、仮タイトルとして「Ghost Tunnel」と付けられたとか…。隧道の工事の際に人柱を埋めたという噂があり、声が聞こえるなどの多くの心霊体験が噂されてもいます。

往復すると呪いが掛かるとか、夜中に通行すると女性がトンネルの中に立っている、といったものまであるのです。また、女性がひとりでは入ってはいけない、と言うのも定説となっています。基本的には「伊世賀美」のほうの話だと思われますが、夜間の通行量の少ない現行の伊勢神トンネルでも、心霊現象があるとも言われています。

●細く、狭く、ツイスティな難所

Elfyn EVANS/Scott MARTIN(#33 TOYOTA GR Yaris Rally1 HYBRID)
GRヤリス・ラリー1のランプは配光が特徴的である。これは4台目に通過したE.エバンス。このコーナーだけが煙っており、それを立ち上がると視界はクリアになる

コースとして設定された伊世賀美隧道は、旭高原村側から下りてきて、トンネル脇にある民家の脇から右折してトンネルに入るルート。トンネルの入り口には白赤のバリケードが左右に置かれ、またトンネル内部にも置かれました。これは、車幅が途中でさらに細くなることから、その注意喚起をするために置かれたようです。

Isegami’s Tunnel
ラリーマシンが通過してしばらくすると、トンネル出口は白い霧に包まれる。トンネル後半のダート路面もあってダストも多い。そこにトンネル内部と外気の温度差により発生する水蒸気も多く含まれ、登り窯のように煙が上に登っていくことがわかる

SS2およびSS5の「Isegami’s Tunnel 1」は、全長23.29kmのコース。SS2もSS5も同じトンネルを北東側から入り南西側に抜けるルートの設定。SSの前半は木々に囲まれたツイスティで道幅の狭いコースとなっており、中盤には観戦エリアとなる旭高原元気村があり、後半にこのトンネルが設定されています。

ラリージャパン2日目、11日(金)の朝一のSSとして、午前7時02分にスタートしたSS2「Isegami’s Tunnel 1」。この撮影のために早朝、まだ暗いうちから隧道に向かいました。

この時の撮影ポイントはトンネルの南西側、SSの設定でいう出口側です。入り口側はメディアポイントとして設定されており、トンネル内にストロボを設置したツワモノもいたようですが、北東側は終日日陰にあり、ジメジメした感覚もあって筆者はこれを避けることにしました。

Daniel SORDO/Candido CARRERA(#6 HYUNDAI i20 N Rally1 HYBRID)
8台目に通過したD.ソルドの6号車は、この数km先で全焼してしまう…

そしてこの日、トンネル出口側には自分も含め3名のカメラマンが到着。撮影の準備を始め、ようやく陽が昇り、周囲が明るくなってきたところで、トンネルの出口に靄がかかるような状況が度々あって、この場の他の2名のカメラマンとともに、ここを撮影ポイントに決めたことを少々後悔しましたが、すでに後の祭り。

それでもセーフティカーが何台もやってきて、競技はスタート。

●真っ白な霧が立ちこめ、トラブルが続いたのは…トンネルの祟り!?

Isegami’s Tunnel
クラッシュしたK.カエタノビッチのコ・ドラであるM. シュシェパニャクがトンネル出口で後続車に「OK」サインを出しているが、危険な状況であったと言える

ここを真っ先に駆け抜けたのが、カッレ・ロバンペラ/ヨンネ・ハルットゥネン組(#69 トヨタGRヤリス・ラリー1)。まったく視界クリアな状況の中、トンネルから飛び出してきたのですが、その次にやってきたオィット・タナック/マルティン・ジェルペオジャ組(#8 ヒョンデi20 Nラリー1)はすでに白い霧の中から出てくるような状態です。

69号車が撒き上げたダストと、トンネル内部にあった暖かい空気が引っ張り出され、湿度の高い空気が外気に冷やされて煙ったのだと思われます。3分ごとに出走する各車での間隔では、この霧は晴れません。

Kajetan KAJETANOWICZ/Maciej SZCZEPANIAK(#20 SKODA Fabia Evo)
コースのアウト側をふさいでいた20号車は、エンジンが掛かり、ジャンクションまで自走で移動することができた

それでもラリー1は全車が通過したのですが、出走10台目となるWRC2クラスのカエタン・カエタノビッチ/マチェイ・スチェパニアク組(#20 シュコダ・ファビア・ラリー2 Evo)が、トンネル出口付近が真っ白に煙っているところへやってきて、出口直後の右コーナーのアウト側にヒット! 車両は激しくクラッシュし、リタイアすることになってしまいました。逆転タイトルが掛かっていたK.カエタノビッチにとっては、痛いリタイアです。

さらに、この地点を無事に通過したダニ・ソルド/カンディード・カレラ組(#6 ヒョンデi20 Nラリー1)が、このトンネルの6kmほど先で車両炎上を起こしたことで、このSS2はキャンセル。SS5ではコースが短縮され、トンネル手前で終了することとなってしまったのです。

愛知県民の大半は「やっぱり使わなきゃよかったのに…」と思っているに違いないですが、これを、伊世賀美隧道の祟りと捉えるかどうかは…あなた次第。

(文・画像:青山 義明)

この記事の著者

青山 義明 近影

青山 義明

編集プロダクションを渡り歩くうちに、なんとなく身に着けたスキルで、4輪2輪関係なく写真を撮ったり原稿書いたり、たまに編集作業をしたりしてこの業界の片隅で生きてます。現在は愛知と神奈川の2拠点をベースに、ローカルレースや障がい者モータースポーツを中心に取材活動中。
日本モータースポーツ記者会所属。
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