日産「マーチ」40年の歴史を振り返る【Nissan Marchのすべて】

■国内260万台を販売したコンパクトカー「マーチ」

1982年から2022年まで40年間に渡って、日本で累計約260万台を販売したヒットモデル・日産マーチが、2022年8月31日をもって日本向けモデルの生産を終了。在庫販売のみとなりました。

20世紀から21世紀に掛けてコンパクトカーの歴史そのものであった日産マーチを、特徴的なモデルのインプレッションを交えながら振り返ります。

●車名を一般から公募したマーチ誕生の背景

NX・018
1981年の第24回東京モーターショーに展示されたNX・018が後にマーチとなる

日産は1981年に、東京・晴海の国際見本市会場で開催された「第24回東京モーターショー」にFF・1000ccの参考出品車「NX・018」を展示します。これが後のマーチです。

この時代、クルマのFF化が進むとともにコンパクト化も進みます。それまでの大衆車は、日産でいえばサニー、トヨタならカローラが代表的なモデルで、いずれも基本はノッチバックセダンでした。

トヨタのラインアップにはパブリカの後継となるスターレットがありましたが、搭載エンジンは1.2リットルからで、駆動方式もFRでした。

1981東京モーターショー入り口
1981年東京モーターショーの入場ゲート。入場料は800円。期間中の来場者は111万4200人

マーチという車名は公募によって決められました。

公募開始は1981年10月29日。11月上旬には1日あたり平均2万5000通の応募が寄せられ、12月には1日あたり6万通にまでなったといいます。当初は1981年12月20日を締め切りとしていたものの、1982年1月15日まで締め切りは延長されました。

1981年12月1日現在での応募総数は海外からの応募も含んで150万通超えだったといいます。

この時点で応募が多かった車名上位5種は、1位から順に「ポニー」「フレンド」「ラブリー」「シャトル」「スニーカー」と発表されています。

最終的に、応募ハガキの総数は565万通。選考は「日産1000㏄車名審査委員会」で行われました。

委員長は大来佐武郎元外務大臣、委員にはファッションデザイナーの森英恵氏、芸術家の岡本太郎氏、ジャーナリストの竹村健一氏、ピアニストの中村紘子氏、建築家の黒川紀章氏、俳優の石原裕次郎氏、女優の松坂慶子氏、歌手の加山雄三氏、元プロ野球選手の王貞治氏と、蒼々たるメンバーが名前を連ねていました。

マーチ(MARCH)の名前で応募した方は4065名で、特別賞として抽選で30名にマーチが贈られたほか、50名に一等賞の海外旅行が贈られたということです。

●スーパーチャージャー+ターボのスポーティモデルもあった初代【1982年~1991年】

1stマーチ
初代マーチ。この時代は当然ながらフェンダーミラー

1982年10月22日。初代マーチは発表され、同日より発売されます。生産は東京西部にあった村山工場が担当しました。

当時のモデルらしく直線&平面基調で構成されたボディを持つ3ドアハッチバックで、全長×全幅×全高は3645×1560×1395(mm)と、現在の軽自動車と小型車の中間ぐらいのサイズ。

日産村山工場
東京都立川市と武蔵村山市にまたがり、敷地面積は139万平米であった村山工場。都内にこれだけの工場があったのも驚きだ

搭載されたエンジンは、M10A型の1リットル直列4気筒OHCで、最高出力は57馬力・最大トルクは8.0kgm。組み合わせられるミッションは4速MTを基本として、5速MT仕様と3速AT仕様も設定されていました。

グレード構成はボトムからE、L、S、Gという4グレード構成で、もっともリーズナブルなEの4速MTは63万5000円、もっとも高価なGの3速ATが86万円でした。

1982年の大卒初任給平均は12万7200円。ちなみに、2022年は21万6337円なので170%ほど上昇しています。

もっとも高価なモデルに170%を乗じてみると146万2000円。現在のマーチの標準タイプ(ボレロやニスモではないモデル)の最上級が約170万円で、各種の安全装備などが充実していることからみると、マーチの価格感はデビュー当時からあまり変わっていないとも言えます。

マーチスーパーシルエット
イベントで実走行するマーチスーパーシルエット。ドライバーは近藤真彦氏本人

1983年には5ドアモデルを設定。同年の東京モーターショーにはグループ5(スーパーシルエット)仕様を展示。これは、タレントの近藤真彦さんをインスパイアしたモデルです。

初代マーチは近藤真彦さんをイメージキャラクターに使い、「マッチのマーチ」というキャッチフレーズを使っていました。

近藤真彦さんは1984年の富士フレッシュマンレース第2戦でレースデビュー、その後はモータースポーツ活動に積極的に参加したのは周知のことで、現在はスーパーGT・GT500/GT300クラスのチームオーナーでもあります。

このグループ5マシンは、1.5リットルの15Eエンジンを搭載。プロモーションのためのモデルでしたが、実走可能でさまざまイベントで走る姿を見せています。

マーチターボ
ターボエンジンを搭載したスポーティなマーチターボ

1984年からはワンメイクレースのマーチカップがスタート。1985年には85馬力・12.0kgmのターボエンジンを搭載したマーチターボが登場。

マーチカップの開始やターボモデルの追加などの影響などもあり、モータースポーツシーンでのマーチの姿が多く見られるようになり、国内外へのラリー参戦なども活発となってきます。

マーチスーパーターボ
スーパーチャージャーとターボを組み合わせて過給するエンジンを搭載した競技ベース車のマーチR

そうしたなか、1988年にはモータースポーツ対応車種としてマーチRが追加されます。

マーチRはMA10エンジンの排気量を930ccとして、スーパーチャージャーとターボでツイン過給するMA09ERTが搭載されました。

排気量を930ccとしたのは、過給エンジンの場合、排気量に1.7を乗じた数値を排気量として換算し、自然吸気エンジンとのパフォーマンス差を平滑化する目的があったからです。マーチRは930cc×1.7=1581ccとなり、1600ccクラスとしての参戦が可能でした。

1988年からはWRCにも参戦し、1988年と1989年のサファリラリー、1989年のアクロポリスラリーなどでクラス優勝。1989年の全日本ラリーではこのクラスのシリーズチャンピオンに輝いています。

マーチスーパーターボ
マーチRの装備を充実したロードモデルがマーチスーパーターボ

1989年には、マーチRの装備を充実させたモデルとして、マーチ・スーパーターボが設定されます。

マーチスーパーターボエンジン
マーチスーパーターボのエンジン

マーチスーパーターボはじつに面白いクルマでした。

低速域での過給をスーパーチャージャーが担当、中速以降になるとターボが効き始めます。スペックはマーチR同様の110馬力/13.3kgmながら、770kgという超軽量なボディとの組み合わせは、まさにじゃじゃ馬。走りは格別なものでした。

GRヤリスは272馬力と2倍以上の出力を誇りますし、現代のクルマで110馬力程度のクルマならさほどハイパワーではありません。しかし、当時のシャシー、当時のタイヤで110馬力はなかなかエキサイティングな走りができました。

時代が前後しますが、1987年にはマーチベースのパイクカー第一弾となるBe-1が市場投入されます。その後、マーチをベースとしたパイクカーは1989年にパオ、1991年にフィガロが投入されます。

1991年をもって初代マーチは生産を終了。初代はグローバルで約165万台を販売、国内では約64万台が販売され、2代目にバトンを渡します。

●初代とはうってかわって丸みを帯びたデザインを採用した2代目マーチ【1992年~2001年】

2代目マーチ
初代とはうってかわって丸みを帯びたスタイルになった2代目マーチ

2代目マーチは、1992年1月に発表されました。2代目のマーチは初代と異なり、丸みを帯びたスタイルに生まれ変わります。

初代は3ドアからスタートしシリーズ途中で5ドアを設定しましたが、2代目は当初より3ドアと5ドアを設定しました。

先代は当初のコンセプトであるFF・1000ccを守りましたが(モータースポーツ用に930ccモデルは存在した)、2代目は1リットルモデルと1.3リットルモデルを設定。

1リットルは5速MTと4速AT、1.3リットルは5速MTとCVTという設定になりました。1リットルエンジンは58馬力/8.1kgm、1.3リットルエンジンは79馬力/10.8kgmというスペック。

最廉価モデルは、3ドアで1リットルエンジン搭載のi・z-fで88万円、もっとも高価なモデルは3ドアで1.3リットルエンジンを搭載するG#で141万3000円でした。

2代目発表にあたり日産は「初代マーチと同様のモデルサイクルを予定し、ロングライフ商品として発売するものである」と宣言しています。

このモデルに採用されたCVTは、今のCVTとはちょっと違います。N-CVTという名前で呼ばれたもので、電磁クラッチが組み合わされていてクリープ現象がないものでした。つまりアクセルを踏まない限り走り出さないのです。

当初はATのようにクリープ現象がないので安心、というようなことも言われたのですが、実際に乗ってみるとクリープ現象があったほうが楽ということになり、やがては電磁クラッチを廃止し、トルクコンバーターを組み合わせてクリープ現象が発生するようになっていきます。

デビュー時には1.3リットル専用のミッションだったCVTですが、1993年の一部改良で1リットルモデルにもCVTを設定。同じエンジンで5速MT、4速AT、CVTが選べるという珍しい状態となりました。

マーチカブリオレ
電動ソフトトップを持つマーチカブリオレ

1997年8月にはシリーズ初となるオープンモデルのマーチカブリオレが追加されます。

電動ソフトトップ式のカブリオレで、リヤウインドウは視界がクリアな熱線入りガラスウインドウ。搭載エンジンは1.3リットルで5MTと4ATがありました。Bピラー部分には大型のロールバーを装備、Aピラーの強度も向上され安全性が確保されました。カブリオレの定員は4名。

価格は5速MTが169万8000円、CVTが179万6000円とリーズナブルなものでしたが、1998年10月には廃止となる短命なモデルでした。

キューブ
マーチから派生したキューブ。丸いマーチに対し、四角いキューブが印象的だった。初期型はなんと4名定員

1998年12月にはマーチをベースとしたユーティリティモデルのキューブがデビューします。

1999年にはマイナーチェンジを行いました。エンジンは1リットルが60馬力/8.6kgmに、1.3リットルが85馬力/12.2kgmにそれぞれスペックアップ。

このタイミングでCVTをN-CVTからハイパーCVTに変更しました。ハイパーCVTは現在の多くのクルマが採用しているのと同じタイプのトルクコンバーター付きCVTで、一部のグレードには変速比を6分割したマニュアルモード付きCVTも設定されました。

1997年の東京モーターショーに参考出品された、ステーションワゴンモデルのマーチボックスも追加設定されました。ラゲッジルーム長は240mm延長、全高も25mmアップされ、ユーティリティとともに頭上空間の拡大も行われています。さらに、それまで設定のなかった4WDも新たに設定されました。

2代目マーチは2001年に国内登録100万台を記録、これを記念したコレット-fという特別仕様車も設定されました。

発売時の宣言どおり、10年のロングセラーを達成した後、2002年にフルモデルチェンジされ3代目に移行します。

なお、この2代目マーチも村山工場で生産されていましたが、カルロス・ゴーンによる日産リバイバルプランにより2001年3月に村山工場が閉鎖、生産ラインは神奈川県の追浜工場に移管されました。2代目マーチは国内で約106万台、グローバルで約254万台を販売しています。

●3代目はリヤにモーターを装着したe-4WDを設定【2002年~2010年】

3代目マーチ
3代目マーチのエクステリア

3代目マーチは2002年2月の登場となります。ボディタイプは3ドアと5ドアの2種が用意されました。

当初のラインアップは68馬力/9.8kgmの1リットル4気筒、90馬力/12.3kgmの1.2リットル4気筒、98馬力/14.0kgmの1.4リットル4気筒の3種のエンジン展開で開始。

ミッションは基本が4速ATで、1.2リットルにのみ5速MTが設定されました。

価格はボトムグレードの3ドア10bが95.3万円、トップグレードの5ドア14cが132万円という設定でした。

同年9月にはリヤに小出力のモーターを取り付け4WDとしたe-4WDを5ドア1.4リットルのAT車に設定します。このe-4WDはあくまでも発進に重きを置いたシステム。雪道などでの発進がスムーズに行えることを目的としていて、回生なども行わないものです。

マーチ12SR
2代目マーチにはなかったホットモデルが復活。写真はマーチ12SR

2003年にはホットモデルとなる12SRが投入されます。初代マーチではターボモデルやスーパーターボモデルが設定されたマーチでしたが、2代目ではそうしたモデルがなく、待ちに待ったスポーツタイプということになりました。

専用ピストンでの圧縮比アップ、カムプロフィールの高回転対応化、排気マニホールド径アップ、低排圧キャタライザー、専用構造マフラー採用などにより、ベース車から20%アップの108馬力の出力を得ていました。もちろん、内外装もスポーツモデルにふさわしいものとなっています。

12SRは日産本体ではなく、オーテックジャパン(現・日産モータースポーツ&カスタマイズ)が開発したモデル。3ドアが152万円、5ドアが154万5000円でしたから、ベース車の約1.5倍近くの価格です。今見るとお買い得感がありますが、当時の感覚ではかなり贅沢なクルマですね。

12SRの走りはとにかく爽快でした。ターボエンジンで高出力を得るのは当たり前!という背景がありましたが、自然吸気エンジンでその効率を高めて出力をアップするというのはある意味、芸術的というか職人技というような部分を秘めていて、上質なものを楽しむという側面がありました。

ホンダはタイプRというモデルで、そうした訴求をしていましたが、他社は遅れをとっていた部分がありました。

軽快に吹き上がるエンジンは、トルクバンドを上手に使ってシフトアップしていくと、まさに“カムに乗った”と思わせるストレスのない回転上昇と、それにシンクロしたトルク感があります。コーナーに向けてのステアリング操作は、しっくりと路面のホールドを感じられ、かつスムーズにクリアしていく様はじつに気持ちのいいものでした。

日本の道路にマッチしたボディサイズも手伝って、ワインディングで走るのが気持ちのいい1台でした。

2004年のマイナーチェンジでは、内外装のブラッシュアップが行われました。このマイナーチェンジ時のリリースで、1リットルエンジン車がラインアップから消えています。

異例のことですが、翌2005年にマーチはふたたびマイナーチェンジを受けます。このマイナーチェンジで、長年続いてきた3ドアと5ドアという2つのボディラインアップ体制を変更。3ドアを廃止して5ドアのみとなります。

登場時3ドアのみ→途中5ドアを追加→3ドアを廃止という流れは、日産テラノやトヨタ・ハイラックスサーフなどでも見られる流れで、世間のニーズが乗降性の優れる5ドアに移っていったことをうかがわせる現象だと言えます。

2005年のマイナーチェンジでは、オーテックジャパン扱いの12SRのエンジンチューンに、専用ステンレス製エキゾーストマニホールド、シリンダーヘッドポート研磨加工を追加。

アルミホイールのデザイン変更と最適化、サスペンションやパワーステアリング特性の変更。ブレーキローターの大型化。テールクロスバーに加え、テールゲートまわりとフロアの剛性を強化など、徹底したチューンが加えられました。

さらに、12SRのシャシー&ボディを使った1.5リットルエンジンモデルの15SR-Aというモデルも追加されました。

このマイナーチェンジでは、FFモデルに限って従来の1.4リットル4気筒エンジンを1.5リットル4気筒に変更。e-4WDは1.4リットルエンジンのまま存続されます。

2007年のマイナーチェンジは、内外装の変更がおもな内容で、機能面での変更はあまり行われませんでした。

マイクラC+C
イギリス日産製のマイクラC+Cを輸入

ただし、同じタイミングでオープンカーのマイクラC+Cが1500台限定という形で追加されます。マイクラというネーミングは、欧州市場におけるマーチに使われるもので、マイクラC+Cも英国日産自動車で製造され日本に導入されるモデルです。

マイクラC+C リヤ
リヤスタイリングも美しいマイクラC+C

マイクラC+Cは1.6リットル4気筒エンジンを搭載。22秒という速さでガラス製ルーフが電動開閉するという快適さがうりでした。ルーフ製造はオープンカーの架装で有名なカルマン社が担当しています。

その後はマイナーチェンジなどは行われずに、2010年をもって4代目に移行。3代目マーチは国内で約62万台、グローバルで約163万台を販売しています。

●タイで製造し日本に運ばれる輸入車となった4代目マーチ【2010年~2022年】

4代目マーチ
タイ生産となった4代目マーチ

2010年7月に発表された4代目マーチは、それまでのモデルとは大きく異なる点があります。

3代目に設定されたオープンカーのマイクラC+Cのみは英国日産自動車で製造でしたが、基準モデルは初代から3代目までの日本向け仕様は日本で製造されていました。

しかし、この4代目はタイ日産で製造、日本に輸入されるモデルとなりました。

タイで生産するにはさまざまな理由があります。人件費の削減、タイを始めASEAN各国からの部品調達の楽さはもちろん、関税の軽減や撤廃、法人税の優遇といったことまで考えると、タイに最終組立工場を設置するのは、自動車製造にとってはとても有利なことなのです。

日産はタイで製造しつつも日本でのクオリティを重視するため、追浜工場内にPDI(Pre-Delivery-Inspection=出荷前検査)センターを設置し、品質管理を行っています。

タイ工場オフライン
タイ工場のオフライン式にて当時の志賀COO、Trirong Suwanakiri副首相

基本モデルは、1.2リットルを搭載するFFと電動アシスト4WDの5ドアモデルで、3ドアモデルは設定されませんでした。エンジンは従来の4気筒ではなくHR12DEという3気筒に変更されました。HR12DEのスペックは79馬力/10.8kgmで、組み合われるミッションはすべてCVTとなりました。

もっともベーシックな12Sは99万9600円、トップモデルは4WDの12G FOURで164万4300円でした。タイ生産、3気筒への変更などはありましたが、それでも100万円を切る価格設定としたところは驚くべきことでした。

2013年のマイナーチェンジでは、内外装を変更。価格も見直され、マーチからアンダー100万円のグレードは消滅しました。

その後も、基本モデルは一部改良などにより内外装の変更を受けますが、機能的な部分での変更はなく、2022年8月に日本向けモデルは生産終了。国内販売台数は、初代から累計で260万台にも及ぶ大記録です。

ボレロA30
わずか30台しか作られなかったボレロA30。エンジンは職人の手による手組みだ

4代目マーチにもホットモデルが存在します。2016年4月に登場したのが、ボレロA30というモデル。

このモデルはオーテックジャパンの創業30周年を記念して設定されたもので、1.6リットル4気筒のHR16DE型エンジンをベースにファインチューニングをほどこし、150馬力/16.3kgmというスペックを実現しています。

組み合わされるミッションは5速MTのみ。サスペンションはカヤバ製で、筒径を純正に対して20%アップ。タイヤは205/45ZR16のミシュラン・パイロットスポーツが組み合わされました。

7200回転まで回すことができるエンジンはじつに軽快。低回転高出力が当たり前の現代で、しっかり回してパワーを引き出すというのは、レーシーで楽しいフィール。

乗り心地は意外なほど柔らかめでしたが、コーナーでのしっかり引き締まったハンドリングもスポーティでした。356万4000円という高価格ながら、たった30台の限定販売ということで、購入倍率は20倍を超えるという人気でした。

マーチニスモS
エンジン、シャシーともに仕上がりのいいフィールを持つマーチニスモS

もう1台、忘れてはならないのがニスモSというモデルです。4代目マーチにはニスモとニスモSがあります。

ニスモは、エアロパーツ装着による空力チューンや、アルカンターラ巻きステアリング、専用サスペンション、205/45R16サイズのブリヂストン・ポテンザRE-11などが装着されましたが、パワートレインはノーマルの1.2リットルエンジン+CVTでした。

一方のニスモSは、ニスモの装備にプラスして、1.5リットル4気筒のHR15DEを37馬力/5.1kgmアップし116馬力/15.9kgmとしたエンジンと5速MTを組み合わせて搭載。ブレーキ、ステアリングギヤ比などを専用としたほか、ボディ剛性アップパーツまでも取り付けられたモデルでした。

ニスモは154万350円、ニスモSは177万300円というプライス。ボレロA30の160馬力と比べると、ニスモSの116馬力はちょっとおとなしめですが、規準車の3気筒エンジンと比べるとずっとスポーティなフィールで、走りを楽しめるタイプです。ハンドリングはキビキビとしていて、タイトなコーナーで楽しいタイプのクルマでした。


歴代マーチ
歴代マーチ

今後、国内における日産のコンパクトラインはノートが担当することになります。

現在のノートはe-パワーというシリーズハイブリッドの駆動方式を採用。今後、このシリーズハイブリッドで、初代のスーパーターボや4代目のニスモSを彷彿とさせるようなスポーティなモデルが登場してくるのか? 日産のブレークスルーに期待したいところです。

(文:諸星 陽一)

この記事の著者

諸星陽一 近影

諸星陽一

1963年東京生まれ。23歳で自動車雑誌の編集部員となるが、その後すぐにフリーランスに転身。29歳より7年間、自費で富士フレッシュマンレース(サバンナRX-7・FC3Sクラス)に参戦。
乗って、感じて、撮って、書くことを基本に自分の意見や理想も大事にするが、読者の立場も十分に考慮した評価を行うことをモットーとする。理想の車生活は、2柱リフトのあるガレージに、ロータス時代のスーパー7かサバンナRX-7(FC3S)とPHV、シティコミューター的EVの3台を持つことだが…。
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