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■中島飛行機設立から100年、社名とブランド名を統一
2016(平成28)年6月28日に富士重工業株式会社は、定期株主総会において2017年4月1日をもって、車名を「株式会社SUBARU」に変更することを決定しました。富士重工は、1917(大正)年に設立された中島飛行機研究所を起源として、2017年にちょうど100年の節目を迎えることから、社名とブランド名の統一を図ったのです。
●中島知久平が設立した飛行機研究所から始まった富士重工
富士重工の起源は、元海軍機関大尉の中島知久平が1917年に設立した「飛行機研究所」です。1919年に「中島飛行機製作所」に改称されましたが、終戦とともに飛行機の生産を禁止され、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により15社に分割されました。
一旦分割されたものの、1950年にその中枢が富士産業として再出発し、さらに1953年に飛行機と新たな自動車開発のため、富士重工業が設立されました。
●スバル360の大ヒットで始まった富士重工
自動車事業に参入した富士重工は、1958年に日本自動車史に残る名車「スバル360」を発売します。中島飛行機出身の百瀬晋六がリーダーとなって、モノコックボディやリアエンジンなどの大胆な設計で、軽自動車初の4人乗車を実現。“てんとう虫”の愛称で卵型のキュートなスタイルが人気を呼び、大ヒットします。スバル360の成功によって、富士重工は自動車メーカーとして本格的に歩み出したのです。
その後、1966年にFFレイアウトで水平対向エンジン搭載の小型車「スバル1000」、1971年には世界初の量産乗用4WDシステムを搭載した「レオーネ」を発売。この時期に、スバルのコア技術である水平対向エンジンや4WDシステムが誕生しました。
●水平対向エンジンと4WD、アイサイトでブランド力を発揮
1970年代に起こったオイルショックと排ガス規制強化の影響もあって、1980年代の富士重工は経営不振に陥ります。この危機を救ったのが、1989年発売の「レガシィ」です。水平対向エンジンに4WD、ステーションワゴンの設定などが人気を呼び、久々のヒットとなりました。1992年には、ほどよいサイズのセダンとステーションワゴンが人気となった「インプレッサ」が登場。また、4WDターボのスポーティなWRXは、世界ラリー選手権の活躍もあり、スバルのイメージリーダーとなりました。
2008年には、他社に先んじてレガシィに先進安全技術「アイサイト」を搭載して、安全技術のスバルを印象付けます。2010年には、レガシィやインプレッサの派生車として「XV」が登場してヒット。その後も、トヨタと共同開発したFRスポーツカーBRZや、「レヴォーグ」、SUVの「フォレスター」と、人気モデルを投入します。
●トヨタ傘下で独自性をアピール
飛行機製作から始まったスバルは、航空機技術をベースにした技術の高さが売りでした。モノコックボディや水平対向エンジン、4WD、アイサイトなどを開発してスバルブランドを構築してきました。現在はトヨタの傘下ですが、相変わらず独自性のある商品を投入しています。
最も新しいトピックとしては、今年5月から電気自動車「ソルテラ」の受注を始め、好調な滑り出しのようです。電動化にやや遅れ気味のスバルでしたが、一気に追いつきたいというところでしょうか。
水平対向エンジンとシンメトリカル4WDで築き上げたスバルブランドですが、今後は電動化にいっそう舵を切る必要があります。EVでも、スバル伝統の走りができるか、スバリストを満足させられるか、注目ですね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)