日本初の駅伝がスタート/ラリードライバーのアリ・バタネン生まれる/2代目ホンダ・ライフがデビュー!【今日は何の日?4月27日】

■京都から東京まで「東海道駅伝徒歩競争」が開催

1917(大正6)年4月27日、日本で最初の駅伝「東海道駅伝徒歩競争」が、京都三条大橋~東京上野の不忍池間で開催され、関東チームと関西チームの2組が、総距離508kmを23区間に分けて、昼夜を問わず走り切りました。4月27日午後2時にスタートして、4月29日の午前11時34分に関東チームが先にゴール。大きな話題を呼び、3年後の1920年には箱根駅伝が始まりました。

4月27日には、スキージャンプの船木和喜、野球の吉村禎章、司会者の宮根誠司、歌手のマイク真木、漫画家のジョージ秋山、ラリードライバーのアリ・バタネン、モールス信号の発明者サミュエル・モールスなどが生まれています。本日紹介するのは、フィンランド人ドライバーのアリ・バタネンです。

●世界三大ラリーとパリ・ダカを制したアリ・バタネン生まれる

アリ・バタネン(2009年) (C)Creative Commons
アリ・バタネン(2009年) (C)Creative Commons

アリ・バタネンは1952(昭和27)年4月27日、フィンランドのトゥーポヴァで生まれました。19歳でラリーデビューし、1974年に国内ラリーで初勝利します。1976年に23歳にしてフォードのワークスチームに入り、同年の英国選手権でチャンピオンを獲得、1980年アクロポリスラリーでWRCに初勝利し、翌年、1981年にはWRCチャンピオンに輝きます。1984年から1985年にかけて破竹の5連勝と快進撃しますが、1985年のアルゼンチンラリーで瀕死の重症を負ってしまいます。

1981年アリ・バタネンが駆っていたフォード・エスコート(C)Creative Commons
1981年アリ・バタネンが駆っていたフォード・エスコート(C)Creative Commons

復活は無理かと思われましたが、1987年に奇跡的にカムバック。以降もパリ・ダカールラリーとファラオラリーで勝利し、世界三大ラリー(モンテカルロ、RAC、サファリ)とパリ・ダカールの4大タイトルを制した世界唯一のドライバーとなりました。フォードオペルプジョースバルBMW三菱を転々としながら、最終的にはパリ・ダカで3年連続4度の総合優勝、WRC通算10勝、チャンピオン1回という輝かしい記録を残し、引退後は欧州議会議員も務めました。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょうか?

●ハイトワゴンとして23年ぶりにライフが復活も1年半の短命で終わる!

1997年(平成9)年の4月27日、ホンダから2代目「ライフ」が発売されました。初代ライフは1971年に発売され、ヒットしながらも1974年に生産を終了しています。1972年にデビューしたシビックが世界的な大ヒットした中で、限られたリソースを小型車に集中するため、ホンダは軽自動車から一時撤退することを選択したのです。

1997年にデビューした2代目ライフ
1997年にデビューした2代目ホンダ・ライフ
2代目ライフのシートアレンジ
2代目ライフのシートアレンジ

そして23年の時を経て復活したのが、2代目ライフ。高い位置に配備された大型のヘッドライトと、大型のバンパーグリルを装備した、当時一大ブームとなっていたハイトワゴンです。パワートレインは660ccの3気筒エンジンと5速MTおよび3ATの組み合わせ。走行性能や扱いやすさ、広い室内空間など一定の評価を受けましたが、何とわずか1年半で生産を終了してしまいました。これは、1998年10月の軽自動車の規格変更(ボディサイズ拡大)に対応した3代目ライフが発売されたからでした。

1971年にデビューした初代ライフ
1971年にデビューした初代ライフ

できるだけ早く、ハイトワゴンブームに参入したかったのでしょうが、1年半後にボデイサイズが拡大することが分かっていたため、やはり購入は敬遠されたようです。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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