日本初のスポーツ新聞創刊/天才芸術家ミケランジェロ生まれる/トヨタとヤマハが提携強化!【今日は何の日?3月6日】

■東京で「日刊スポーツ」が創刊

1946(昭和21)年3月6日、日本初のスポーツ新聞「日刊スポーツ」が東京で創刊されました。4ページのタブロイド判で、価格は50銭(現在の100~200円程度)でしたが、発行された1万5000部はあっという間に売り切れたそうです。終戦直後の厳しい生活の中、数少ない明るい情報が得られたのでしょうね。

さて、3月6日に生まれたのは、芸人のりんたろー、女優の筧美和子、シンガーの高橋真梨子、落語家の春風亭小朝、レスラーのキラー・カーン、作家の大岡昇平、レネサンスの天才芸術家ミケランジェロなどです。本日紹介するのは、ミケランジェロです。

●彫刻家、画家、建築家、詩人とマルチな大芸術家のミケランジェロが誕生

ミケランジェロの肖像 (C)Creative Commons
ミケランジェロの肖像 (C)Creative Commons

ミケランジェロは1475年3月6日、イタリアのトスカーナ州フィレンツェのカプレーゼで生まれました。父親は銀行業を営んでいましたが、事業に失敗して政府の臨時職員として生計を立てていました。ミケランジェロは1489年にメディチ家の彫刻学校で学び、10代で数々の作品を残し、若くして彫刻家として認められます。中でも彼の名声を決定的にしたのが、1500年に完成した「ピエタ像」と、1504年に完成した「ダビデ像」です。

ダヴィデ像、1504年 アカデミア美術館(フィレンツェ) (C)Creative Commons
ダヴィデ像、1504年 アカデミア美術館(フィレンツェ) (C)Creative Commons

その後、1533年にはローマでシスティナ礼拝堂の「最後の審判」を製作、71歳の晩年には集大成となるサン・ピエトロ大聖堂の大聖堂ドームの建築やカンピドリオ広場の再構成を行いました。サン・ピエトロ寺院の完成には実に18年を費やしましたが、些細なことにこだわりすぎという意見に対して、「その些細なことの積み重ねこそが総体の美につながる」と一蹴したそうです。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●数々の名車を生んだトヨタとヤマハのコラボ、さらに提携関係を強化!

2000(平成12)年3月6日、トヨタヤマハ発動機は同社の株式の持ち合い関係を強化すると発表しました。トヨタは、ヤマハ発動機の筆頭株主であるヤマハから株式5%を取得して、これまで以上に高性能エンジンの開発やF1などのモータースポーツ、マリン事業での協力関係を強化することが狙いでした。

1967年に登場した2000GT、初めてヤマハの直6 DOHCエンジンを搭載
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1970年に登場したセリカ1600GT、最強スポーツグレード
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ヤマハと言えば、楽器やオートバイで有名ですが、実はトヨタの高性能エンジンサプライヤーとして約50年の実績を持ちます。トヨタの高性能エンジンのほとんどは、ヤマハが関与していると言っても過言ではありません。ヤマハが初めてトヨタのエンジンを開発したのは、1967年に登場した名車「トヨタ2000GT」のエンジンでした。初めての技術提携はその2年前の1965年9月でした。

2010年に登場したレクサスLFA、美しい排気サウンドが評判に
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2000GTの成功で信頼関係を深めたトヨタとヤマハは、その後もトヨタの名車であるレビンやトレノセリカマークIIチェイサー、クレスタなどのエンジンを手掛けます。最近ではカーボンニュートラルエンジンとして話題になった5.0LのV8水素エンジンもヤマハ製。挙げればきりがありません。

ヤマハのエンジンなくして、トヨタの躍進はないと言えるほど、ヤマハはトヨタにとって大きな存在です。両社のコラボは、今後も続くことは間違いありません。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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