マツダのル・マン 勝利を、もう一度そしていつまでも強く味わえる一冊 『マツダのルマン挑戦ストーリー 1974-1997』

■マツダが成し遂げた日本メーカーとしての初のル・マン勝利は30年以上も前

「ル・マン勝利」はとてつもない偉業であるのだなあと、ズッシリと分からせてくれる…。そんな本が、三樹書房から発売されています。

マツダのルマン挑戦ストーリー 1974-1997』。

筆者の三浦正人氏は、この時代のおおかたをチームとともに現場にあった、マツダのモータースポーツ活動の拠点組織でもあった「マツダスピード」の元広報マンの方です。身近に展開していたル・マン24時間レースへの関わりの模様を改めて現場関係者を通しながら再考され、つまびらかに明かされていく真実の諸相には息を飲むばかり。そんなドキュメンタリー書籍です。

●一介のディーラーに寄せてきたレース好きたちのパワーから

『マツダのルマン挑戦ストーリー 1974-1997』
『マツダのルマン挑戦ストーリー 1974-1997』表紙

日本の自動車メーカーとして初めて、ル・マン24時間レースの勝利を飾ったのは1991年のマツダでした。とは言え、駆け出しからメーカーとして、世界に冠たるル・マン24時間レースを制覇していこうというプロジェクトがあった訳ではありませんでした。

1970年代当時、全国に展開する自動車ディーラーには、モータースポーツへの情熱を携えているチームやショップの強者たちが、競技マシンのベースとなる秀でたクルマ、エンジンを求めて集ってきていました。マツダもまた国内レース界で片山義美選手などがサバンナRX-3で猛威を奮っていました。

70年代国内ツーリングカーのサバンナRX3
70年代国内ツーリングカーのサバンナRX3

そんな時勢のなか、有力チームから東京にあったディーラー「マツダオート東京」に、ル・マン挑戦の第一歩を踏み出そうと、ロータリーエンジンメンテナンス参与の依頼が舞い込みます。

ここから、後にマツダのモータースポーツ部門の拠点となる「マツダスピード」の取締役につく大橋孝至氏、ドライバーの寺田陽次郎選手たちとともに、ル・マン24時間耐久レースに挑戦するチームの胎動は始まっていったのです。

そしてル・マンでの戦いを研鑽すること17年にも及び、1991年に、ワークスチームとしてマツダは念願のル・マン勝利を遂げてゆきます。

1991年マツダ優勝のル・マン 24時間レース
1991年マツダ優勝のル・マン 24時間レース

本書ではル・マンに挑戦してきたマシンも、1974年のシグマMC74から、RX-7ベースの252i/253/254、グループCマシンのマツダ717C、3ローターのマツダ757、優勝を遂げる4ローターの787、その後、経済情勢などの煽りをうけル・マン活動幕引までの、IMSA仕様プロトタイプなどなど、多彩な歴戦車種がつぶさに挙げられています。

収録されている800点もの写真の8割がたが初公開写真というほどですから、脳裏に焼きつくシーンも半端ではありません。

1983年ル・マンのマツダ717C
1983年ル・マンのマツダ717C

マツダスピード設立にともない、マツダは日本のメーカーとしていち早くル・マン挑戦を始めたことになります。それはロータリーエンジンを掲げて、でした。

レシプロエンジンに比べて軽量コンパクト低重心のロータリーエンジンは、シンプルな構造で燃焼効率もよく、ポンピングロスなどもなく耐久性にも秀でていると言え、耐久レースには持ってこいでした。独自のロータリーエンジンでの挑戦を続けていたマツダにとっては、まさにその存在感、素晴らしさの真実を知らしめたい強い気持ちがあったからに他ならないでしょう。

4ロータリーのR26Bエンジン
4ロータリーのR26Bエンジン

●ロータリーエンジンを取り巻くル・マンの記憶

とは言え、モータースポーツ競技には主催者がより接戦を展開する方向に仕向けていく競技規則があります。ロータリーには同排気量換算の係数が科せられ、その中での燃費対策も厳しくありました。

そんな同一コンディションの平等性のなかで、技術とドライビングスキルの戦いが展開されるからこそ、観客も勝利を評価し、勝者たちから溢れでる達成感の喜びに、ともに酔いしれることができるのです。

マツダのル・マン 優勝20周年の2011年にル・マンに招かれたイベントにて
マツダのル・マン 優勝20周年の2011年にル・マンに招かれたイベントにて

マツダ・チームは車両規則上、ロータリーエンジンでの参戦がフィナーレとなってゆく年に、予定通りの落ち着き払ったレース展開をこなしてゆきました。

序盤からトップ争いを展開しながら進んでいたメルセデス、ジャガーが予想外に脱落してゆくなか、マツダは甲高いサウンドを途絶えさせることなくトップに踊り出て、1991年の初勝利へ向かいます。これぞロータリーエンジンであると、唯我独尊として降臨してきたかようなル・マン史上でも、それまでにないほどのドラマ的な勝利となったのです。

1991年マツダ優勝のル・マン 24時間レース
1991年マツダ優勝のル・マン 24時間レース

ル・マンは昨年84回大会を終えています。かねてよりヨーロッパの歴史ある自動車メーカーがル・マンで表現してきた、他車に比べて優れているという実戦での成績、それはクルマの信頼性アピールに大きく響くものでした。

ベントレー、フェラーリ、ジャガー、メルセデス・ベンツ、ポルシェがスポーツカーとしての地位を確立してゆき、ルノー、プジョー、アウディ、どの挑戦車も追従してゆきました。昨年4連覇を成したトヨタの記憶も新しくありますが、マツダの勝利から25年以上が経ち、2017年ふたたび日本車がトヨタによってル・マン勝利の重さに行き着いた、というものでした。

おおまかに言えば、24時間/5万km近くもの走行距離を、平均時速200km/h以上のペースで走り切る。それでも競技マシンにとっては、コンマ1秒でもライバルよりも速くなければならないという拭えないミッションがあり、レースの結果と言えばその勝ち負けだけ。

しかしたった1日、されど24時間のその勝負であるからこそ、ル・マン24時間レースの現場には、それを突き詰めてゆく技術革新の最前線、パワー、燃費、レース展開の中で緻密に対応して磨き上げられていったものが満ちあふれています。取り囲んできた人間たちの事象は測り知れません。

1991年マツダ優勝のル・マン 24時間レース
1991年マツダ優勝のル・マン 24時間レース

そんなル・マン挑戦物語の真実の片りんが、本書『マツダのルマン挑戦ストーリー 1974-1997』には、そこここに見られるのです。

徹底した燃料消費数値の把握とピットイン戦略、給油ピットインに向かわなければならない警告レベルはどうあったのか、勝利に向かう最後のスティントを託されドライバー、ジョニー・ハーバートは、コースにあふれ出した観客の群れを配慮するオフィシャルの指示で、ピットロードからマシンパルクフェルメへ。

1991年マツダ優勝のル・マン 24時間レース
1991年マツダ優勝のル・マン 24時間レース

時に、そこにあったマツダスピードの大橋監督、ドライバー、顧問アドバイザー、ジャッキー・イクスはどう動いたのか。メカニック、ピットクルー、ブースをフォローするスタッフまでもの一挙手一投足が、散りばめられている訳です。

レース終了とともに、大挙コース内におしかける観客たち。脱水症状で倒れ医務室に留まり表彰台には現れなかった優勝チームドライバー、ハーバート。古代ギリシャのマラソン競技発祥の逸話にもシンクロしてしまいそうなドラマ模様とも言える出来事でした。

ル・マン勝利の中でも語り継がれるシーンを、本書に詰まっている現場からのリアリティに促され、さらに身近に引き込んでみてはどうでしょうか。

『マツダのルマン挑戦ストーリー 1974-1997』
著者:三浦正人(元マツダスピード広報/MZレーシング代表)
発行:三樹書房
体裁:B5判・上製・オールカラー272ページ
定価:本体価格5000円+税

なおこちらで記事展開している写真は、これまで公開されているプレス広報フォトで、本書からの抜粋ではありませんので、恐縮ながら本書の未公開写真へと興味津々募るばかりです。

(文:游悠齋/写真:三樹書房、マツダ)