日本初のエレベーター/第1回日本GPロードレース開催/マツダ・キャロルが復活!【今日は何の日?11月10日】

■日本初の電動式エレベーター設置

凌雲閣(C)Creative Commons
凌雲閣(C)Creative Commons

1890(明治23)年11月10日、東京浅草のレンガ造り建築「凌雲閣」に、日本初となる電動式エレベーターが設置されました。高さ52mの12階建ての凌雲閣の名前は、雲を凌ぐほど高いという意味で名付けられ、日本で最も高い建築物でした。当時は、珍しさもあり大変な賑わいだったそうですが、1923年の関東大震災で半壊して解体されました。ちなみに世界初のエレベーターは、紀元前200年頃にアルキメデスによって開発された人力による巻き上げ式のエレベーター、電動式は1880年のドイツ・マンハイム博覧会で展示されたのが最初です。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●第1回日本グランプリロードレース開催!

ホンダのRC164 ・1963年モデル(250cc 空冷4ストローク4気筒DOHC)
ホンダのRC164 ・1963年モデル(250cc 空冷4ストローク4気筒DOHC)

1963(昭和38)年のこの日、鈴鹿サーキットで第1回日本グランプリロードレースが開催されました。世界選手権の最終戦でもあり、年間チャンピオンが決まる重要なレースでした。50cc/125cc/250cc/350cc(350ccクラスは出走3台で不成立)で熱戦が展開されましたが、なかでも250ccクラスは、今も語り継がれている有名なレースでした。ホンダRC164(空冷4ストローク4気筒DOHC)のJ.レッドマンとヤマハ(空冷2ストローク2気筒)の伊藤志朗、F.リードの3選手による抜きつ抜かれつのデッドヒートが最後の最後まで続き、鈴鹿のスタンドは総立ちになって熱狂したそうです。最後はJ.レッドマン選手が伊藤志朗選手を0.1秒、わずか数mの僅差で振り切り、優勝を飾りました。浅間の英雄、天才ライダーと言われた伊藤志朗選手が惜しくも涙をのんだ戦いでした。

●マツダの2代目キャロルが19年振りの復活!

1989(平成元)年のこの日、マツダキャロルの2代目となるオートザム「キャロル」がデビューしました。1962年にデビューした初代キャロルは、当時としては先進的な360cc水冷4ストローク4気筒エンジンをリアに搭載した斬新な軽自動車で、マツダ(当時の社名は東洋工業)の歴史の1ページを飾る名車でした。

1989年発売の2代目キャロル、全体をラウンディッシュに仕上げている
1989年に発売された2代目キャロル。全体をラウンディッシュに仕上げている
1989年発売の2代目キャロルのキュートな後ろ外観
2代目キャロルのキュートな後ろ外観

オートザム・キャロルは、その初代が生産を終えて19年振りとなる1989年に復活しました。オートザムは、当時マツダが進めた5チャンネル体制の販売網のひとつです。2代目キャロルは、3ドアセダンのみの設定で、キュートな丸みを帯びたスタイリングと同じくラウンデッシュに仕立てられたインテリアが特徴でした。エンジンと基本シャシーは、スズキから供給を受けました。パワートレインはスズキアルトの550cc3気筒SOHC12Vと、3速&4速ATおよび5速MTの組み合わせ。駆動方式はFFで4WDも設定されました。

1962年にデビューした初代キャロル、先進的な360cc水冷4ストローク4気筒エンジン搭載
1962年にデビューした初代キャロル。先進的な360cc水冷4ストローク4気筒エンジン搭載

丸くてキュートなスタイルから、特に女性から支持されてヒットモデルとなりました。ところが、1990年初頭にバブルが崩壊、販売網を拡げた5チャンネル体制にモデル展開が追いつかず、マツダは経営危機に陥ります。せっかくヒットしたにも関わらず、収益の小さい軽自動車では経営回復に貢献できず、その後1998年にマツダは軽の自社生産から撤退してしまいました。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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