ド(10)ライ(1)バー(8)の日/日産リバイバルプラン発表/「三菱重工」コルト800発表!【今日は何の日?10月18日】

■働くドライバーの皆さんに感謝!

今日10月18日は、ド(10)ライ(1)バー(8)の語呂合わせで「ドライバーの日」です。トラック、バス、タクシーなどのプロドライバーに感謝するとともに、プロドライバーの地位向上を目指す日です。タクシーやトラック、バスのドライバーになるには、普通自動車免許(第一種運転免許)以外に特殊な免許(第二種運転免許)が必要です。第二種運転免許にも、普通、中型、大型、大型特殊、けん引があり、取得するためには教習所に通う必要があります。人流や物流を通して、私たちの日常の生活を支えているプロドライバーの皆さんに感謝しなければいけませんね。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●ゴーンCOOがリバイバルプラン発表。日産従業員を2万1000人削減

カルロス・ゴーン氏
カルロス・ゴーン氏

1999(平成11)年のこの日、日産自動車カルロス・ゴーンCOO(当時)が、「日産リバイバルプラン」を発表。「2000年度の黒字化」、「2002年度の営業利益率4.5%」、「負債額50%削減」の必達目標を掲げ、そのために2002年3月までに村山工場など3工場とエンジン2工場の閉鎖、全世界で2万1000人の人員削減を行うという衝撃的な内容でした。大きな痛みを伴う施策でしたが、2002年度までの中期計画目標をほぼ1年前倒しで達成して、V字回復を果たしました。

ところが2018年、そのゴーンCEO(当時)が金融商品取引法や特別背任法で起訴され、ついにはCEOの座から追放されることに。さらに驚いたことに、2019年大晦日にゴーン氏は何とレバノンへ海外逃亡、まるで映画のような逃亡劇に成功したのでした。日産は、ゴーン氏に救われたのも事実ですが、好き勝手に私物化されたのも、これまた事実ですね。

●国産初のファストバックを採用した三菱コルト800発表!

1965(昭和40)年のこの日、三菱自動車の前身である三菱重工が、ファミリーカー「コルト800」を発表しました。三菱重工が、本格的に独自開発した乗用車は1960年にデビューした「三菱500」です。その後、三菱500を進化させた1962年の「コルト600」を経て、登場したのが「コルト800」です。ちなみに、三菱重から分離独立して三菱自動車が設立されたのは、1970年のことです。

1965年発売のコルト800
1965年発売のコルト800
1965年発売のコルト800、独特のファストバックスタイル
1965年発売のコルト800、独特のファストバックスタイル

コルト800は、スタイリングはもちろん、エンジンや駆動方式などすべての設計を一新しました。最大の特徴は、当時欧州で流行っていた2ドアファストバックを採用したスタイリングでした。室内は、後部座席のサイドウィンドウに曲面ガラスを採用して、大人5人でも十分なスペースを確保。パワートレインは、フロント縦置きの843cc 直3の2ストロークエンジンと4MTの組み合わせ、駆動方式はFRレイアウトでした。当時は、まだ排ガスや燃費が重視されない時代だったので、軽量コンパクトで高トルクを発揮する2ストロークエンジンは、とりわけ軽自動車では一般的なエンジンでした。

1966年発売のコルト1000F、4ストローク4気筒エンジン搭載
1966年発売のコルト1000F、4ストローク4気筒エンジン搭載

コルト800は、技術的には注目されるところも多かったものの、排気量843ccが中途半端で、軽自動車では一般的だった2ストロークエンジンもやや時代遅れな印象がありました。そのため、コルト800はわずか10ヶ月の短命に終わり、1966年9月からは「コルト1000F」にバトンを渡すことになったのです。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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