■種子島に漂流したポルトガル人が火縄銃を伝来
1543(天文12)年8月25日、ポルトガル人を乗せた南蛮船が鹿児島県の種子島に漂着。このとき、ポルトガル人の持っていた火縄銃を種子島領主が譲り受けました。火縄銃の威力を知った領主はすぐに家臣に製造を指示、翌春に来航したポルトガル人に再度指導を受けて火縄銃の製造に成功します。この火縄銃は、戦国時代の最強の武器として大坂堺の商人を通じて瞬く間に日本中に広まります。その中で織田信長は、鉄砲を戦術に取り入れて「長篠の戦」で鉄砲隊を編成して無敵の武田騎馬隊を圧倒するなど日本統一の足掛かりとしたのでした。
また1931(昭和6)年のこの日、東京・羽田に国内初の民間航空機専用の「東京飛行場」が開港しました。当時は、全長300m/幅15mで飛行機1台だけが発着できる小さな空港でした。その後規模が拡大され、1952年に「東京国際空港」に改称され、1956年には国内第1号の国際航空拠点に指定されました。ちなみにコロナの影響以前の2019年の世界の空港旅客数ランキングは、アトランタ空港(米国)をトップに、北京空港(中国)、ロサンゼルス空港(米国)、ドバイ空港(アラブ首長国連邦)、羽田空港の順です。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
●ワゴンRに対抗してダイハツのムーヴデビュー!
1995(平成7)年のこの日、ダイハツから新型軽自動車「ムーヴ」がデビューしました。その2年前の1993年、スズキから「ワゴンR」が発売され、背が高く圧倒的な室内空間を持つ「ハイトワゴン」という新しいジャンルを開拓して大ヒットします。ダイハツが、このワゴンRに対抗して投入したのが、ムーヴでした。
ムーヴは、人気セダン「ミラ」をベースに、ライバルのワゴンRとの差別化を図りました。ボディサイズはワゴンRとほぼ同等ながら、大きな違いは使い勝手の良い左右対称5ドア(ワゴンRは、後席ドアは助手席後部のみ)、テールゲートが横開き、後席がスライド機構付きであること、車重がワゴンRよりも約30kg軽量であることでした。エンジンは新開発の660cc直3 DOHCをメインに、直4 DOHCにはワゴンRにないターボモデルをラインナップしました。トランスミッションは5速MTおよび3速AT、ターボモデルには4速ATが用意されました。
ムーヴは、標準的なモデルに加えて、1997年にフロントフェイスなどをスポーティにしたカスタムを追加設定。これがムーヴに勢いをつけ、販売はワゴンRに迫りました。あわてたワゴンRも1998年に「エアロRR(ダブルアール)」というスポーツモデルを追加して対抗しました。
ハイトワゴンという新しいジャンルを開拓して大成功したワゴンRに果敢に挑戦したムーヴ。ダイハツがとった戦略は、コンセプトもスタイルも似ているのは仕方ないが、ワゴンRの課題を払拭して対抗することでした。以降、25年以上も軽自動車を代表するライバル関係にあり、現在もスズキとダイハツを代表するモデルとして熾烈な競争をしていますね。
毎日が何かの記念日。それではまた明日!
(Mr.ソラン)