源頼朝が征夷大将軍に/献血の日/いすゞ最後の乗用車2代目ピアッツァ登場!【今日は何の日?8月21日】

■売血が禁止され献血制度が始まった「献血の日」

源頼朝肖像(現在は別人説が有力)(C)Creative Commons
源頼朝肖像(現在は別人説が有力)(C)Creative Commons

1192年の8月21日、源頼朝が平家との闘いに勝利して征夷大将軍に就任、鎌倉幕府が開かれたとされています。“1192(イイクニ)造ろう鎌倉幕府”と覚えましたが、最近は鎌倉幕府が開かれたのは1185年だったとの説が有力で、また教科書で紹介されている源頼朝の肖像画も別人の可能性が高いそうです。そもそも歴史の教科書は、その時点の学会の多数派説を記述しているので、何か新しい発見があれば歴史が二転三転してしまうということです。かつて歴史のテストで1185年と答えて×にされた人、微妙ですね。

献血
献血

また今日は、「献血の日」です。1964(昭和39)年のこの日、それまでの売血制度が廃止され、すべての輸血用血液を献血によって確保することが閣議決定されたことにちなみます。売血とは、自分の血液をお金で売るもので、お金のために頻繁に献血を繰り返す人が多く、その場合赤血球の回復が追いつかずに輸血効果がない、副作用を起こしやすいという社会問題が起こっていました。ちなみに当時の売血料は400ccで1200円程度だったそうです。現在の価値にすると、1万5000円程度になります。生活のために頻繁に売血する人がいても不思議ではないですね。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●いすゞの名車ピアッツァ2代目登場!

1991(平成3)年のこの日、いすゞは「ピアッツァ」を10年ぶりにフルモデルチェンジ、2代目がデビューしました。「いすゞが乗用車を生産していたの?」という人がいるかもしれませんが、1960年~1980年にかけては、「ベレット」「117クーペ」「ジェミニ」、そしてピアッツァといった数々の名車を世に送り出したメーカーだったのです。

1991年発売の2代目ピアッツァ (C)Creative Commons
1991年発売の2代目ピアッツァ (C)Creative Commons
1991年発売の2代目ピアッツァ(Rear View) (C)Creative Commons
1991年発売の2代目ピアッツァ(Rear View) (C)Creative Commons

1981年(昭和56)年の初代ピアッツァは、イタリアの巨匠ジウジアーロがデザインしたスポーツクーペとして衝撃的なデビューを飾りました。しかし、当時としては最新の技術や先進的なフォルムも10年の間にさすがに旧態化してしまいました。

そこで、初代とは異なる新しいスペシャルティカーとして登場したのが、2代目ピアッツァです。スタイルのデザインはいすゞ社内で行い、2ドア4人乗りクーペというボディスタイルとセミリトラクティブルヘッドライトは初代と同じですが、全体としてはまったく異なる男性的なフォルムに変貌。パワートレインは、ジェミニ用の1.8L直4DOHCエンジンに5速MTまたは4速ATの組み合わせ、駆動方式はFRからFFに変更されました。また、4WS機構を持った4輪独立サスペンション、ABSを組み合わせた4輪ディスクブレーキなど、走りについてもいすゞの先進技術が盛り込まれました。

惜しくも2代目は初代のように話題になることもなく、販売は低迷して1993年に生産を終えました。その後1994年、いすゞは乗用車の自社生産から徹底することを決め、このモデルがいすゞ最後の乗用車となったのでした。

1981年発売の初代ピアッツァ (C)Creative Commons
1981年発売の初代ピアッツァ (C)Creative Commons

初代ピアッツァは、その先鋭的なフォルムによって人気を博しましたが、2代目は個性的なプレミアム感が乏しかったと言えます。また、当時いすゞはGMの傘下にあり、自由な戦略が立てられなかったという社内事情も低迷の要因のひとつかもしれませんね。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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