前畑ガンバレ!/「しんかい6500」潜航深度記録/ヘンリー・フォードがエジソンと出会った!【今日は何の日?8月11日】

■前畑秀子選手の中継から「ガンバレの日」

ベルリン五輪で表彰台に立つ前畑選手 (C)Creative Commons
ベルリン五輪で表彰台に立つ前畑選手 (C)Creative Commons

1936(昭和11)年の8月11日、ベルリン五輪の女子競泳200m平泳ぎの決勝が行われ、前畑秀子選手が優勝して日本人女性として初めて金メダルを獲得しました。この時、ラジオの実況をしていたNHKのアナウンサーが、レース中に興奮して「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」を23回連呼、この日が「ガンバレの日」に制定されました。長いオリンピックの歴史の中で、こういったアナウンサーの名言が多く生まれており、最近ではアテネ五輪体操の「伸身の新月面が描く放物線は栄光への架け橋だ!」、今年のオリンピックはスケートボードの「13歳、真夏の大冒険!」ですね。

しんかい6500(引用:海洋研究開発機構HP)
しんかい6500(引用:海洋研究開発機構HP)

また1989(平成元)年のこの日、海洋科学技術センターの有人深海調査船「しんかい6500」が、試運転で最大潜航深度6527mの潜水記録を達成しました。全長が9.7m、幅2.8m、高さ4.1m、空中重量26.7t、直径2mの耐圧殻内に、研究者1名とパイロット2名が乗船し、船外を観察することができます。水深6500mで船体にかかる圧力は650気圧です。これは、約650kgの力が1立方センチの立方体に上下左右、360度の方向からかかる状態です。金属バットは水深500mでペシャンコに潰れるそうで、6500mはそれの10倍以上ですから、想像を超える圧力ですね。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●フォード創業者のヘンリー・フォードが天才エジソンと運命の出会い!

1896(明治29)年のこの日、エジソン電気会社のチーフエンジンであったヘンリー・フォードは、親睦を深めるために開催された夕食会で初めてエジソンと話をする機会を得ました。フォードは、この時すでにエンジンの実験を繰り返し、1896年には「Ford Quadricycle」と名付けたガソリン自動車を製作していました。

ヘンリー・フォード (C)Creative Commons
ヘンリー・フォード (C)Creative Commons
トーマス・エジソン (C)Creative Commons
トーマス・エジソン (C)Creative Commons

会食では電気会社らしく電気自動車が話題となりましたが、フォードは自分がガソリン車を作っていることをエジソンに告げます。するとエジソンは興味を示し、エンジンは2ストロークか4ストロークか、点火はどうしているのかなどを質問、それに的確に答えるフォードのガソリン車に対する熱い想いに共感し、電気自動車よりもガソリン車の方が将来性があると明言します。フォードは、天才エジソンのお墨付きをもらい、様々なアドバイスを受けることで改良モデルの開発を加速します。1899年には、フォードは独立して「デトロイト自動車」を設立して本格的に自動車づくりを始めます。

T型フォード
T型フォード

その後会社経営で紆余曲折がありましたが、1903年に「フォード・モーター・カンパニー」を設立し、1908年についに「T型フォード」を発売します。T型フォードは、従来の手作りの自動車づくりからベルトコンベアを利用したライン生産方式による大量生産によって、大幅な販売価格の低減に成功。1914年に販売台数は25万台を超え、1918年には米国で保有される自動車の半分はT型フォードになりました。それまでの富裕層のための自動車を大衆化させた功績から、ヘンリー・フォードは、「自動車の育ての親」と称されています。

ライン生産方式
ライン生産方式

天才エジソンが自動車やフォードと関わり、自動車の発展に貢献したこと、意外と知られてないのではないでしょうか。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
続きを見る
閉じる