1980年代後半に迎えたバブル期は、軽自動車にも高性能・高機能化をもたらしました。その象徴的なクルマが、1990年代初めに登場した2シータースポーツカー「ABCトリオ」です。Aは、マツダの「AZ-1」、Bはホンダの「ビート」、Cはスズキの「カプチーノ」です。
1991(平成3)年デビューのスズキ「カプチーノ」は、軽とは思えぬ贅沢な仕様と機能を持ち合わせたFRの本格的スポーツカーでした。残念ながら販売時期がバブル崩壊時期に合致したため、販売は伸びませんでしたが、現在も復活の噂が流れる憧れのクルマです。
第5章 軽自動車・第2黄金期(1980-2000年)と鈴木自動車
その3.軽の本格的オープンスポーツカー「カプチーノ」
●バブルが生んだ軽2シータースポーツカー「ABC」
1980年代には、ソアラやマークⅡなどハイソカーと呼ばれる高級車が一大ブームを起こし、軽自動車も高性能、高機能のクルマが人気を博し、1980年代後半のバブル期を迎えました。
そして1990年代初頭に、バブル時に開発した3台の軽スポーツカー「ABCトリオ」がデビューして話題になりました。
・マツダ・オートザム「AZ-1」:1992(平成4)年デビュー
ガルウィングを備えた唯一の軽自動車、スズキ製エンジンを搭載したミッドシップスポーツカー
・ホンダ「ビート(Beat)」:1992(平成4)年デビュー
NAながらレスポンスの良い高回転型エンジンを搭載したミッドシップスポーツカー
・スズキ「カプチーノ(Cappuccino)」:1991(平成3)年デビュー
軽量化にこだわり、加速性能に優れた軽乗用車唯一のFRスポーツカー
いずれも多くの若者を魅了しましたが、バブル崩壊が始まった時期の発売であったため、販売台数が伸びずバブル崩壊とともに短命で終わりました。
●「カプチーノ」デビュー
「カプチーノ」は、1989(平成2)年の東京モーターショーで鈴木修社長が発表したことに始まりますが、スズキ自動車ではそれ以前1960(昭和35)年に2人乗りのスポーツカーのプロトタイプを製作していました。
カプチーノの設計は、ロータスエランを目標にして、特に力を入れたのは軽量化でした。「ロータスエラン」はロータスを代表するオープンスポーツカーで、トヨタ2000GTやマツダのユーノスロードスターにも多大な影響を与えたと言われています。
プロトタイプの車重は、当初は480kgを達成。量産時には、プロト時のカーボンモノコックボディやカーボンテクミロン製ボディパネルがスチールになったために700kgまで増えましたが、それでもボンネットやリアパネル、フロアトンネルカバーにアルミパネルを採用して軽量化を図っています。ちなみに、マツダ「AZ-1」の車重は720kg、ホンダ「ビート」は760kgでした。
東京モーターショーの発表の2年後、1991(平成3)年、ついにカプチーノがデビュー。車名の由来は、小さなコーヒーカップに入った「ちょっと癖のあるお洒落なコーヒー」のカプチーノと、小さなオープンカーのイメージを重ねたと言われています。
●「カプチーノ」の技術特徴
排気量657ccの水冷3気筒DOHCエンジンは、最高出力64PSを発揮し、トランスミッションは5速MTのみの設定。エンジンをフロントに縦置き配置し、51対49の前後重量配分をフロントミッドシップFRで達成することによって、優れたステアリング性能を実現しました。
サスペンションは、前後ともダブルウィッシュボーン/コイルスプリングを採用。ボディについては、軽量化のためアルミ製ボンネットの他、可能な限りアルミ部品や高張力鋼板を多用するなど、軽自動車としては高機能で贅沢な仕様でした。
また、アピールポイントのひとつに「4ウェイ・オープントップ」があります。これはルーフ部分を3ピース構造として、分割式ハードトップを取り外すことによって、クーペ、Tバールーフ、タルガトップ、フルオープンの4つの好みのスタイルに変更できるのです。
残念ながら発売時はバブルが崩壊して、市場は嗜好性の高いスポーツカーを求めなかったため、1998(平成10)年をもって生産中止になってしまいました。
(文:Mr.ソラン 写真:マツダ、ホンダ、スズキ)
第22回に続く。
【関連記事】
第5章 軽自動車・第2黄金期(1980-2000年)と鈴木自動車
その1.軽ボンネットバン「アルト」による新しい市場の開拓【第19回・2020年8月19日公開】
その2.究極のリトルモンスター「アルトワークス」【第20回・2020年8月20日公開】