1973(昭和48)年に始まった本格的な排ガス規制に対応するため、多くのメーカーがエンジンを2ストロークから4ストロークへ切り替えたのに対して、鈴木自動車は最後まで2ストロークエンジンで対応を進めました。
2ストロークエンジンの課題であるCOとHCを低減するため、独自の排ガス低減技術を開発しましたが、最も厳しい規制値レベルの「昭和53年排ガス規制」については、一部の機種ではどうしても適合できませんでした。
これを機に、鈴木自動車も2ストロークエンジンからの撤退を決断したのでした。
第4章 排ガス規制と2ストロークエンジンの危機
その3.最後まで2ストロークにこだわった鈴木自動車
●排ガス規制と規格変更
日本では米国のマスキー法にならい、1973(昭和48)年から本格的な排ガス規制が始まり、その後段階的に強化され、1978(昭和53)年には当時世界で最も厳しいと言われた「昭和53年排ガス規制」が施行されました。
排ガス規制値を参考に下記します。「昭和50年規制」以降はNOx(窒素酸化物)のみの強化ですが、NOxとCO(一酸化炭素)/ HC(炭化水素)はトレードオフの関係にあるので、NOxを低減するためにはHCとCOも下げる必要があります。
・昭和48年規制値(10モード):CO(18.4g/km)、HC(2.94g/km)、NOx(2.18g/km)
・昭和50年規制値(10モード):CO(2.10g/km)、HC(0.25g/km)、NOx(1.20g/km)
・昭和51年規制値(10モード):CO(2.10g/km)、HC(0.25g/km)、NOx(0.60g/km)
・昭和53年規制値(10モード):CO(2.10g/km)、HC(0.25g/km)、NOx(0.25g/km)
排ガス規制の強化は、360ccの小さな排気量エンジンで500kg前後の車体を動かす軽自動車にとっては、特に高い壁となって立ちはだかりました。
この厳しい状況の救済策として、1976(昭和51)年に軽自動車の規格が変更されました。
排気量の上限が360ccから550ccに拡大され、同時に車体サイズについても全高2mは変わらず、全長が3mから3.2m、全幅は1.3mから1.4mへと拡大されたのです。
●「昭和50年排ガス規制」への対応
鈴木自動車は、2ストロークエンジンで大量に発生するCOとHCの低減に総力を上げて取り組み、「昭和50年排ガス規制」については、1976(昭和51)年発売のフロンテ7-Sでクリアしました。
フロンテ7-S(4代目フロンテ)は、軽自動車の規格変更に対応して全幅を100mm、全長を195mm拡大、同時にエンジンの排気量を356ccから443ccに増大しました。
排ガス規制については、エアポンプで2次空気を供給して排ガス中のCOとHCを燃焼除去する「2次空気供給システム」と、酸化触媒を2段配置する「スズキTC(Twin Catalyst)」を組み合わせて対応しました。TCは、排気マニホールド内とマフラー内の2ヶ所に酸化触媒を配置し、浄化能力を高める手法です。
●「昭和53年排ガス規制」への挑戦と2ストロークからの撤退
フロンテ7-Sは、1977(昭和52)年には当時2ストロークでは対応不可能と思われていた「昭和53年排ガス規制」をクリアしました。
排ガス低減は、「昭和50年排ガス規制」の対応技術「TC」をベースに、以下の3つの改良を加えた「TC-53」システムで達成しました。
「53」とは、「昭和53年」から用いられています。
・触媒温度上昇のために、排気マニホールド長さの短縮
・触媒の耐熱性向上と容量の増大
・燃焼改善のために、点火コイル容量(エネルギー)の増大
これで2ストロークに自信を深めた鈴木自動車は、続いて同年に排気量を539ccに拡大したエンジンを搭載した新型フロンテ7-Sとセルボを発売しました。
しかし、残念ながら2ストロークエンジンによるがんばりもここまででした。
2ストロークエンジンでは、たとえ適合できたとしても、排ガス低減技術による燃費悪化や出力低下を招き、実用性に支障をきたしたからです。その後も、車種によっては2ストロークエンジン搭載車が存続しましたが、1987(昭和62)年まで販売された2代目ジムニー(SJ型)を最後に、国産四輪車から2ストロークエンジンは消え去ったのでした。
(文:Mr.ソラン 写真:スズキ、モーターファン・アーカイブ)
第18回に続く。
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