フォードとの資本提携と「ファミリア」の大ヒット【マツダ100年史・第23回・第7章 その1】

【第23回・2020年7月23日公開】

1973年に起こったオイルショックによる東洋工業の販売不振は特に大きく、1975(昭和50)年には赤字に転落しました。この状況下で、メインバンクの住友銀行から取締役を迎え入れ、住友銀行主導でフォードとの資本提携を結びました。

このような厳しい経営状況の中で復活の起爆剤になったのは「コスモAP」ですが、それを確かなものにしたのは5代目「ファミリア」でした。

「赤いファミリアXG」は若者の圧倒的な支持を受け、東洋工業最大のヒットモデルになりました。

第7章 バブル絶頂と崩壊、そして「Zoom-Zoom」

その1.フォードとの資本提携と「ファミリア」の大ヒット

●住友銀行主導の再建とフォードとの提携

1973年のオイルショックでロータリーエンジン車の燃費の悪さがクローズアップされて販売は急落、東洋工業は1975(昭和50)年には赤字に転落しました。
メインバンクである住友銀行は、東洋工業からの要請を受けて人材の派遣と融資の実施を決め、1976年1月に取締役2名を東洋工業に送りこみました。
住友銀行は、この局面を東洋工業単独で乗り切るのは難しいとの判断から、国内外のメーカーとの提携を企てました。提携先として選ばれたのが、すでに業務提携を結び、ボンネットトラックを輸出していたフォードでした。
フォードとの交渉の渦中、1977年12月に松田耕平社長は代表権のない会長に退き、社長には山崎芳樹が就任しました。これにより、50年以上続いた松田重次郎、恒次、耕平の3代にわたる同族経営にピリオドが打たれたのでした。

●フォードとの資本提携

1979(昭和54)年11月、フォードが東洋工業の株式を25%取得するかたちで資本提携が締結されました。
燃費の良いコンパクトカーが必要なフォードにとって、燃費技術に優れた日本メーカーとの提携は大きな魅力でした。
東洋工業とフォードは、1981(昭和56)年に共同でフォード車の販売チャンネル「オートラマ」を設立しました。オートラマで販売するフォードブランド車を東洋工業の工場で生産するのが目的です。さっそく翌年にファミリアを「フォード レーザー」、カペラを「フォード・テルスター」、ボンゴを「フォード・スペクトロン」として販売を始めました。

●大ヒットを記録した「赤いファミリア」

オイルショックによる国内販売の低迷の下、復活への道すじをつけたのは1975(昭和50)年の「コスモAP」と翌年の多用途車「ボンゴ」シリーズでした。
そして東洋工業の逆転劇で大きな立役者を演じたのは、1980(昭和55)年6月に登場した5代目「ファミリア」です。
搭載エンジンは、新開発の1296cc・最高出力74PSと1490cc・85PSの1490ccの2種類の直4OHCレシプロエンジンです。
東洋工業初のフロント横置きエンジン搭載のFF(フロントエンジン・フロントドライブ)車で、4輪独立懸架とラック&ピニオンのステアリングを採用、スポーティな走りと快適な室内空間を実現しました。

5代目ファミリア。
5代目ファミリア。

FFハッチバックコンパクトカーの火付け役となったファミリアは、若者の間で爆発的なヒットとなり、電動サンルーフが標準装備の赤いファミリアXGは、「赤いXG」と呼ばれました。
サーフボードをルーフキャリアに載せたスタイルが大流行。「陸(おか)サーファー」という言葉が生まれ、若者文化を象徴する社会現象になりました。
発売するや、またたく間に国内ハッチバック市場で首位に立ち、発売18ヶ月で生産累計50万台、その後もカローラやサニーを抑えて首位を維持し、発売からわずか27ヶ月で100万台を達成しました。
単月で2万台を超えた月もあり、東洋工業の国内販売台数として過去最高を記録、記念すべき「第1回日本カーオブザイヤー」を受賞したのでした。

(Mr.ソラン)

第24回につづく。


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この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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