「マツダ787B」ル・マン総合優勝の快挙【マツダ100年史・第21回・第6章 その2】

【第21回・2020年7月21日公開】

ロータリーエンジン車は早くからモータースポーツに参戦して、国内外のレースでも華々しい成果を上げました。1971(昭和46)年に「サバンナロータリーGT」が、当時無敵の日産「スカイラインGT-R」を制して優勝したことは、大きな話題となりました。
次の目標は、世界でもっとも権威ある耐久レース「ル・マン24時間」の制覇でした。ル・マンで優勝すれば世界中にロータリーの性能と信頼性の高さをアピールできるからです。
幾多の挑戦と挫折を繰り返しながら、1991(平成3)年に3ローターのロータリーエンジンを搭載した「787B」によって、ついに日本車初の総合優勝を果たしました。

第6章 バルブ時代とロータリーの終焉(ロータリーの歴史3)

その2.「マツダ787B」ル・マン総合優勝の快挙

●モータースポーツの参戦と「サバンナロータリー」の偉業

東洋工業がモータースポーツに参戦したのは1963(昭和38)年の第1回日本グランプリですが、参戦した「R360」や「キャロル」では、トヨタや日産には到底太刀打ちできませんでした。その後海外のレースにも参戦するなど、積極的にモータースポーツに取り組み、徐々に好成績を残すようになりました。
1967(昭和42)年には量産初のロータリーエンジンを搭載した「コスモスポーツ」が大きな話題となりましたが、その直後から10A型ロータリー搭載の「ファミリアロータリークーペ」が、日本や欧州のレースでその実力を遺憾なく発揮しました。
何よりもレース界に衝撃を与えたのは、1971(昭和46)年2月の富士500マイルレースです。12A型ロータリーを搭載した「サバンナロータリーGT」が、当時無敵であった「スカイラインGT-R」の50連勝にストップをかけ、優勝したのです。
その後もさまざまなレースで連勝し、1976(昭和51)年のJAFグランプリで優勝することで、国内レース通算100勝という大記録を打ち立てました。
さらに「サバンナRX-7」もそのポテンシャルと信頼性の高さによって、国内外の多くのレースで連戦連勝を続けました。

●次の目標はル・マン制覇

マツダのロータリーエンジン車が初めて「ル・マン24時間」に参戦したのは、1970(昭和45)年でした。
シェブロンB16にロータリーエンジン10A型を搭載したマシンで挑みましたが、あえなく4時間でリタイヤしてしまいした。
その後も参戦してはリタイヤを繰り返し、初めて完走できたのは1980(昭和55)年、米国のプライベートチームの「サバンナRX-7」でした。総合順位21位という結果を残し、ロータリーエンジン初の完走を果たしました。
以降も上位入賞を目指して改良を加え、予選は必ず通過するだけの実力をつけました。1984(昭和59)年のル・マンでは、参戦4台すべてが完走して上位入賞を果たし、ロータリーエンジンの性能と信頼性の高さを実証できたレースとなりました。

●日本史上初の総合優勝を成し遂げた「マツダ787B」

参戦全車の完走を果たし、次の目標はいよいよ念願のル・マン総合優勝になりました。
1990(平成2)年に、新たに開発したR26B型ロータリーエンジンを搭載した「マツダ787」で参戦しました。R26B型は654cc×4ローターで、1ローターあたり3つの点火プラグとリアルタイム可変吸気機構を組み合わせ、最高出力700PSを達成しました。
総合優勝への期待が高まりましたが、燃料系と電気系のトラブルによって残念ながら2台とも完走できませんでした。
1991(平成3)年、ついに記念すべき総合優勝の時がきました。
3台のロータリーマシーン「マツダ787B」は、レース開始からメルセデス、ジャガー、プジョー、ポルシェなどの強豪車と激しいトップ争いを繰り広げました。「787B」は、「787」に対してコーナリング性能を重視したセッティングのマシンです。
前年覇者のメルセデスを抜き去り、スタートから24時間後の午後4時、ついに栄光のチェッカーフラッグを受けました。
ロータリーエンジンを搭載した「マツダ787B」が、ル・マン24時間レースで日本史上初の総合優勝という偉業を成し遂げたのです。

マツダ787B。
マツダ787B。

(Mr.ソラン)

第22回につづく。


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