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■「自動車の育ての親」ヘンリー・フォードが大量生産技術を確立
●日本初の量産乗用車として三菱A型が誕生
産業革命の原動力になった蒸気機関は画期的な発明でしたが、クルマに搭載するには大掛かりで効率も良くありません。小型で効率の高い内燃機関(エンジン)の発明が、その後のクルマの技術進化や自動車産業を大きく飛躍させました。
自動車の発明と戦前の黎明期について、解説していきます。
●蒸気自動車の発明
自動車の歴史は、1769年フランス人のニコラ・ジョゼフ・キュニョーが発明した蒸気自動車から始まりました。蒸気の力で発生するピストンの往復運動を連続的に回転運動に変換し、大砲を輸送する車両として発明されました。
蒸気機関では、ボイラーで発生した高温高圧の蒸気をピストンが組み込まれたシリンダに送り込みます。シリンダの上端と下端の通路に装着された弁の開閉によって蒸気の圧力を切り替え、ピストンを上下させます。この往復運動をピストンロッドで回転運動に変換して、動力として利用したものです。
●電気自動車の発明
電気自動車の原型は、1830年~1840年にかけていくつか提案されていました。
実用的な電気自動車の登場はガソリン自動車より早く、1873年に英国のロバート・ダビットソンが開発しました。
また、1899年にベルギーのジェナッツィが開発した電気自動車は、2つのモーターを直結して搭載し、当時最速の106km/hを記録しています。
なお、電池は1777年に、モーターは1823年に発明されています。
●ガソリン自動車の発明
1876年、ニコラウス・オットーが4サイクルのガソリンエンジンを開発し、これを機に1886年カール・ベンツとゴットリーブ・ダイムラーが同時期にガソリンエンジンの自動車を発明しました。全く面識ない2人が別々にガソリン自動車を発明しましたが、先に特許を取得しクルマを販売したカール・ベンツが、歴史上「自動車の生みの親」という栄光を得ています。
カール・ベンツが開発した4サイクルエンジンは954ccの単気筒で、最高出力は0.89PS/400rpm、エンジン重量は約100kgでした。
燃料の供給は束ねた繊維を伝う毛細管現象を利用したもので、点火はバッテリと変圧器を組み合わせて高圧電流を発生させるシステムでした。
このエンジンを搭載した世界初の3輪自動車が「モトールヴァーゲン」で、最高速度は20km/h程度でした。車両は鋼管と木製で構成し、鋼鉄製のスポーク車輪とソリッドゴムタイヤでした。操舵はラック・アンド・ピニオン、手動式の後輪路面ブレーキ、動力の伝達はベルト式でした。
●いよいよ自動車産業が幕開け
1895年にはパリとボルドー間で世界初の自動車レースが開催されるなど、自動車は徐々に注目されて普及するようになりましたが、あくまで富裕層の乗り物でした。
手の届かなかった自動車を誰でも手に入れる存在にしたのは、1908年にT型フォードの大量生産に成功した「自動車の育ての親」ヘンリー・フォードです。
高い生産効率と低コストを両立させた大量生産技術を確立し、自動車産業の構造変革を実現しました。これを機に、米国のモータリゼーションが始まりました。
1919年には、欧州で自動車の大衆化を目指したシトロエンが、フランスに設立されました。
ドイツでは当時のヒットラーの全面的な支援の下、1938年にポルシェがフォルクスワーゲン・タイプ1(後のビートル)を開発しました。
●日本の自動車産業
日本では、世界から100年以上遅れて1904年に初めて山羽虎夫によって製作された「山羽式蒸気自動車」が登場しました。その3年後には、ガソリン自動車「タクリー号」が製造されましたが、部品はすべて米国製であったため、国産車とは言えませんでした。
純粋な国産車は日産の前身の快進社の「ダット号」で、1914年に完成しました。
その後1918年に、日本初の量産乗用車として「三菱A型」が誕生しました。しかし、米国フォードやGMとの技術差は大きく、当時の日本市場は米国製の自動車が席巻していました。
1900年代に入り、クルマの技術進化とともにモータリゼーションの波が米国から欧州へと広がりました。しかし、第二次世界大戦の勃発とともに、自動車産業は一時的に停滞時期に入りました。
一方、日本が本格的に自動車産業に取り組み始めたのは、戦後になってからです。
(Mr.ソラン)