【第20回・2020年7月20日公開】
1980(昭和55)年の「赤いファミリア」の記録的なヒットが起爆剤となり、東洋工業は長い低迷から復活を果たしました。
その頃、日本では高性能車や高級車の大ブームが起こりました。レシプロエンジンの高出力化に対抗するため、ロータリーエンジンに相性の良いターボを組み合わせたロータリーターボを、1982(昭和57)年にスポーツタイプの3代目「コスモ」に、1983(昭和58)年にはマイナーチェンジ版「サバンナRX-7」に搭載しました。
また、1984(昭和59)年5月には、社名とブランドを一元化するため、社名を「マツダ株式会社」に変更しました。
第6章 バブル時代とロータリーの終焉(ロータリーの歴史3)
その1.バブル時代のハイパワーロータリーターボ登場
●バブルと東洋工業
1970年代の排ガス規制対応が一段落すると、レシプロエンジンではDOHCやターボを採用した高出力モデルが登場しました。時代は環境対応からハイパワーの時代に様変わりしました。そして1980年代前半に「ハイソカーブーム」、後半には「シーマ現象」などに象徴される、高性能車や高級車が飛ぶように売れるバブル絶頂期を迎えます。
東洋工業はというと、オイルショックによる低迷が長引き、1970年代後半は赤字も経験する厳しい経営状況が続きました。しかし1980年代に入ると、輸出の伸長に加え、1980(昭和55)年の5代目「ファミリア」が大ヒットしたことによって、その後の5年間は順調に業績を伸ばすことができました。
●高性能化時代のコスモロータリーターボ車デビュー
ロータリーエンジンの排気システムはレシプロエンジンよりも大きなエネルギーでタービンを回すことができ、ターボとの相性に優れています。
新開発されたロータリーターボを初めて搭載したのは1982(昭和57)年発売の3代目「コスモREターボ」です。搭載エンジンは573cc ×2ローターの12A型ロータリーで、最高出力は130Pから165PSへとパワーアップしました。
スムーズに回転するロータリーエンジンにターボを組み合わせ、それをきめ細かく制御した「コスモREターボ」は同クラスの最速を誇り、ロータリーの高性能ポテンシャルを改めて実証しました。
●「サバンナRX-7」もパワーアップ
続いて1983(昭和58)年には、ロータリースポーツのシンボル的存在「サバンナRX-7」にもターボを搭載。軽量化やタービンブレードを最適化した専用ターボを採用して、全域でレスポンスに優れた高い性能を実現しました。
搭載した12A型ロータリーターボエンジンは最高出力165PSを発揮し、さらに強化サスペンションや4輪ベンチレーテッドディスクブレーキなど、スポーツカーとしての性能を追求しました。
●2代目「サバンナRX-7」はさらに進化
1985(昭和60)年、「サバンナRX-7」は初のフルモデルチェンジを果たしました。
1978年の初登場から7年を経て送り出された2代目は、さらにスポーツカーらしさを強調したファーストバックスタイルへと進化し、Cd値はクラストップレベルの0.30を達成しました。
搭載エンジンは12A型から654cc×2ローターの13B型に変更、空冷インタークーラーと新開発のツインスクロールターボを採用して、最高出力を185PSに向上させました。
ツインスクロールターボはターボ内の通路スクロール(渦巻室)を低速用と高速用に分け、段階的に排気ガスを通すことによって、低速から高速まで高い過給圧を実現します。
ロータリーエンジン20周年を記念し、1987(昭和62)年には2シーターフルオープンのカプリオレが登場。
特長は、従来のオープンカーの課題であったボディ剛性の低下や風の巻き込みなどを解消している点です。
(Mr.ソラン)
第21回につづく。
【関連記事】
第5章・排ガス規制とオイルショック(ロータリーの歴史2)
その1.北米進出とサーマルリアクター【2020年7月16日公開】
その2.マスキー法から始まった排ガス規制とオイルショック【2020年7月17日公開】
その3.フェニックス計画による燃費改良【2020年7月18日公開】
その4.ロータリー復活の象徴となったコスモAPとサバンナRX-7【2020年7月19日公開】