日米デザイナーの熱意がマツダを変えた! レジェンドが語る初代ロードスターのデザイン開発秘話【ネオ・クラシックカー・グッドデザイン太鼓判:番外編】

4月5~7日、幕張メッセで開催された「AUTOMOBILE COUNCIL 2019」。展示された往年の名車から「グッドデザイン太鼓判」の番外編として、メーカー系出展車のデザインをチェック。4回目はマツダブースの模様をお伝えします。

今回のマツダブースのテーマは「ロードスター ~30年の物語、そして今~」。歴代の4台だけでなく、初代のプロトタイプや北米バージョンまで展示した実に見応えのあるブースです。

ここでは、ゲストに元デザイン本部長の福田成徳氏と、3代目までの開発主査を務めた貴島孝雄氏というレジェンドふたりを招いて行われたトークショーの中から、初代のデザイン開発秘話についてリポートします。

コンセプトカーのRX500を始め、多くの車種を手掛けて来た福田氏が、デザイン業務に「ちょっと疲れ」、軽い気持ちでカルフォルニアのマツダ拠点(MANA)を訪れたのは1983年のこと。まだデザインスタジオもなかったといいます。

「ちょうどその頃、グローバル展開を始めたマツダは北米向けの商品企画をしていました。じゃあ、その先行開発をしようとデザイナーを7名ほど集め、スタジオを作ったんですね」

先行開発の第1号は、当時話題だったホンダCR-Xの対抗馬となるライトウエイトスポーツ。すでにマツダにはRX-7があったものの、その下に同じようなスポーツカーを作っても意味はないという判断です。

「いわゆるセクレタリーカーですね。当初はクーペとミドシップ、そしてオープンスポーツなど4タイプの提案を行いました。日本から社長が視察に来ることもあって、じゃあクレイモデルを作ってガンガン売り込もうと(笑)」

設備の乏しかった北米拠点は、モデルの製作をイギリスのエンジニアリング会社であるIADに委託。オープンモデルだけは実走可能なものとし、カルフォルニアの公道を走ったといいます。

「これがものすごい評判で、とにかくクルマの周りに人が寄ってくる。いくらでも出すから譲ってくれという声も少なくなかったんです。もともと私たちもこのオープンモデル推しでしたので嬉しかったですね」

1986年に福田氏は広島に呼び戻されますが、それにより日米両拠点での開発が可能となり、デザインの練り込みも本格的に進みます。

「たとえば、プロトタイプのフロントは石鹸箱みたいで無表情だという声がありました。このクルマは、走る喜びを表現するハッピースマイルにしないといけない。そこでターンシグナルを両目の表現にしたわけですが、その間あっという間に2年間も使ってしまったんですね」

しかし、1989年に完成した初代は若者にも買える価格が受け大ヒットに。当時の好景気で、若年層の年収がアップしたという背景にも助けられたと言います。

「現代にライトウエイトスポーツを復活させるということで、デザインはとにかく無駄を省くことに注力しました。北米では今回展示の「クラブレーサー」のようにもっとグラマラスにしたかったようですが、まあそれは2代目のNBで具体化することになるんですね」

トークショーは時間切れになるほどの盛り上がりで、さまざまな秘話が語られました。福田氏は、ユーノスの展開に合わせて90年代に「ときめきのデザイン」を掲げますが、できればその頃の話も聞いてみたいものですね。

(まとめ:すぎもと たかよし)

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