フォルクスワーゲン・ビートルが生産終了。波乱の末に生まれた後継車ゴルフとは?

フォルクスワーゲン・ビートルが2019年をもって生産を終了しますが、ここでは初代ビートルの大役を引き継いだ名車、ゴルフ誕生の経緯についてお話しましょう。

ビートルの大人気が仇に

第2次大戦終戦とともに本格的な生産が始まった初代ビートルが、空前の大ヒット車となったことはすでに書いた通りですが、1960年代になると、かえってこの人気がフォルクスワーゲンを苦しめるようになります。ビートルのイメージがあまりに強烈すぎて、順当な世代交代が行えなくなったのです。

フォルクスワーゲンは、1961年に「タイプ3」という乗用車を発売しました。このクルマはビートル同様空冷リアエンジンでしたが、ビートルよりもモダンな外観を持ち、室内やトランクもはるかに広大でした。ところがこのクルマはビートルを代替できるだけの魅力に欠け、世代交代のけん引役とはなれませんでした。

FF車ミニの衝撃

いっぽうで自動車技術の進化は続き、小型車の世界にも変革が起きます。中でも1959年にBMC(ブリティッシュ・モーター・カンパニー)が発売したミニは衝撃的で、横置きエンジンで前輪を駆動するFFレイアウトを採用、圧倒的な居住空間を実現していました。

ミニのような2ボックススタイルに未来を感じたフォルクスワーゲンは、ビートルの後継車を同種のスタイルとすることに決め、1965年、長年のパートナーであるポルシェに開発を依頼します。開発を任されたのはフェルディナント・ピエヒ氏。初代ビートルを手がけたフェルディナント・ポルシェ博士の孫であり、後にアウディで4輪駆動システム「クワトロ」を開発、さらにフォルクスワーゲンで会長まで上り詰める人物です。

この記事の著者

角田伸幸 近影

角田伸幸

1963年、群馬県のプロレタリアートの家庭に生まれる(笑)。富士重工の新米工員だった父親がスバル360の開発に立ち会っためぐり合わせか、その息子も昭和期によくいた「走っている車の名前が全部言える子供」として育つ。
上京して社会人になるも車以上に情熱を注げる対象が見つけられず、自動車メディアを転々。「ベストカー」「XaCAR」で副編集長を務めたのち、ポリフォニー・デジタルにてPlayStation用ソフトウェア「グランツーリスモ」シリーズのテキストライティングに携わる。すでに老境に至るも新しモノ好きで、CASEやパワートレインの行方に興味津々。日本ディープラーニング協会ジェネラリスト検定取得。大好物は豚ホルモン(ガツとカシラ)。
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