「作った人の意気込みを感じられるクルマにしよう」と、R32スカイラインの開発はスタートしました。
具体的には、前ストラット/後セミトレというGC110スカイラインから引き継いできたコンテンポラリーなサスペンション形式を見直すことにしました。
しかし、当時の日産はフロントサスにマルチリンク採用車はなかったため、新規開発になります。渋る上層部へ向け伊藤さんは「その開発費はスカイラインが持つから」と説得します。リヤサスペンションについては、当時開発中だったマルチリンクを採用することができました。剛性面が懸念されましたが、鍛造アームを用いることでクリアしました。
そして輸出を減らし、さらにR31では90あった車種展開を、25まで減らしました。選択と集中を行ったのです。そのかわり、走りに関する部分には「ヒト・カネ」を投入しました。また軽量・コンパクト化にあたっては、世界のクルマの単位面積あたりの重量を鑑み、R31比で140kg軽くすることを目標とししました。
スタイリングに関しては、R31で「定規とコンパスでデザインした」という比喩からの脱却をめざしました。R32がメインターゲットとした「これからの世代を担う若い人たち」へ「洗練された男のおしゃれ感」を提案しました。当時は「男のクルマなのにおしゃれとはどういうことだ?」との反論もありましたが、和を尊ぶ伊藤さんは周囲を説得し、あのR32スカイラインのスタイリングが生まれたのです。