コントロールタワーからの呼び出し。何をした? OPT300ZX耐久レース挑戦記・その9【OPTION 1985年7月号より】

初戦、完走! 周囲の予想を見事に裏切り(!?)、世界耐久選手権・富士1000km耐久レースに参戦し、そこから得られるものをユーザーにフィードバックしたい…その強い信念のもとレースに挑戦した我がチームOPT。今までドライバーの声や各担当部署の状況などをプレイバックしました。今回その9では、ピットスタッフからの声をお届けしましょう。

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我れ、チューンドカーでかく戦えり
テクとマシンをたたき上げる最高の舞台、それがレースだ!

ストリートの意地とロマンを賭して、サーキットになぐり込んだOPT・Z。1000km、5時間48分の長丁場をいかに走りぬいたか!

今だから言える。ジャイアンツの奇跡の優勝はあっても、OPT・Zの完走はない! 誰もがそう思っていた。

ドピーカンとなった1985年5月5日。午前11時に1000kmの長丁場、227周の男のドラマが24台によって幕を切って落とされた。1stドライバーは山田英二。耐久性を考えて、6000rpmまでしか回さない作戦をとる。それでもストレートでは240km/hくらいは出るはずだ。

問題はコーナー。ストリートラジアルとスリックとの性能差は歴然。予選でCR-XそれもOHC、1.5Lに3秒差をつけられたのも、いってみればこのストリートラジアルとスリックの差みたいなもの。1コーナーでのブレーキの踏みも他車に比べてはるかに早い。ヘアピンなど、他車がビターッと張り付くようなコーナリングをしているのとは対照的に、ヨタヨタ。

1周めはそれでも1分51秒40と、意地と直線パワーでCR-Xを抜き、ケツから2番目で通過。まずまずの出足といえる、かな!?

その後も快調、1分53秒22、53秒03…と、山田はコンスタントにラップを重ねる。練習走行はおろか、予選でも細かいトラブルでほとんど走り込みなしのぶっつけ本番。いくら回転を6000rpmに設定してあるとはいえ、ピットは誰しも、口には出さないけれど不安いっぱい、祈るような面持ちでマシンを見守る。

30分、40分…ラップタイムは1分54~55秒台で安定している。毎ラップ、祈るように最終コーナーを見やっていたピットにも少しばかり余裕が生まれてくる。「6000rpmに抑えているんだぜ、壊れるわけがないヨ」、初めてDaiの強がりが出た。

ドライバー交代の予定は40周。「そろそろか…」そんな矢先の38周目、「ゼッケン56のチーム監督は本部まで来てください」とアナウンスが流れる。何事かと不安げに本部へ出頭したDai。クレームはZの走りについてだった。「ヘアピンでヨロヨロ走っているけど、ドライバーが未熟なのかね」

が、そこで恐れ入るDaiじゃない。「いや、市販ラジアルタイヤだからですよ!」と、きっぱり言い切ってやったと顔を紅潮気味にさせて帰ってくる。

40周。ドライバー交代。エンジン快調、水温、油圧、ブースト異常なし。タイヤもまったく問題なし! 2番手は小宮延雄だ、ラップタイムも1分55秒74と順調。

が、次の周、突然タイムが2分00秒10にダウン。アレッとばかりマシンを見ると、なんとフロントガラスがオイルと泥でベットリ。小宮は窓から横を見て走っている。それでも苦心のドライブで1分55秒台にまでのせてくる。ピットインしてクリーニングすれば、一気に1分以上のロスタイムだから必死の頑張りなのだが、さすがに59周めでいったんピットイン。

視界が戻ってからは1分53秒89、54秒00と確実にハイペースをマーク。

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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