コントロールタワーからの呼び出し。何をした? OPT300ZX耐久レース挑戦記・その9【OPTION 1985年7月号より】

80周。ドライバーはいよいよコボだ。この時点ですでに11台のマシンがコース上から姿を消している。松本恵二/中子修組のパナスポーツ日産ターボCが47周で、高橋国光/高橋健二組のアドバン・アルファ962が51周で、そして星野一義/萩原光組のシルビアターボCも63周で、それぞれリタイアしてしまったのだ。

LDクラスからLD2クラスへ登録変更を余儀なくされた直接的原因のAGIP伊太利屋ランチアは、86周めピットで炎上、派手なリタイヤを遂げている。経過タイム約3時間。レースは折り返し点だ。

「まさかボクまで回ってくるハズないよな」と言っていたコボが、否応なくコクピットに縛り付けられる。

「さぁ行け!」Daiをはじめピットクルーは、タイムキーパーのそばに集まった。2分5秒87、2分9秒10…。「2分がなかなか切れないゼ」口をついて出るのはタイムのことだけど、スタッフ全員、内心心配しているのはコボの身の安否だ。これまで木刀の叩き合いしか知らない少年剣士に白刃を持たせ、激戦の修羅場に送り出した親の心境…もちろん、そこまでみんなが胸を痛めていたことを、天性の楽天ドライバー・コボは知らない。

けど、このままじゃヤバい。規定周回数クリアがギリギリだ。20周でピットインさせよう、Daiがホッとしたように決断した。

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というところで、続きは次回その10で! 結果は分かっていても、やはりその過程はワクワク、ドキドキします!!

[OPTION 1985年7月号より]

(Play Back The OPTION by 永光やすの)

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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