歴代RX-7の開発秘話! ロータリーひと筋を貫き通したサムライ開発者が語り尽くす【マツダのレジェンドに学ぶ・第2回】

山口京一さんの、山本健一さんの足跡をたどるコーナーが駆け足で終わったあとは、御一方ずつのトークが始まりました。まずおひとりめは小早川隆治さんです。

大学三年のときにちょうど、前述のNSU、ヴァンケル研究所、マツダとのロータリー開発のニュースを知った小早川さんは衝撃を受け「ここしかない!」と東洋工業(現マツダ)への入社を決めたそうです。新幹線のなかった当時、東京出身の小早川さんは特急あさかぜで12時間かけ広島へ向かったそうです。そして念願かなって1963年に入社後、ロータリーエンジン研究部に配属されました。

プロジェクトXなどで話題となった「ロータリー四十七士」のつぎの世代にあたるそうです。

当時は、社長であった松田恒次さんの情熱、そして山本健一さんのリーダーシップが、当時のマツダを牽引していたといいます。

実験の部署につとめながら、ロータリーエンジンの改良にいそしむ日々を送ります。

「悪魔の爪痕」としてのちに語られるローターハウジングへのダメージ、そして「カチカチ山」と例えられた排気管からもうもうとあがる煙、「電気あんま」と呼ばれる振動。当時のロータリーに起こりうるさまざまな困難を技術で乗り越えていきました。なかでも、カーボンアペックスシールの開発は、気の遠くなるほどの試験を繰り返しました。

市販ロータリーを搭載したのがコスモスポーツという大英断は、いまでも心に残っているそうです。