【東京オートサロン2018】ガルウィングを授かり蘇った「RE雨宮CRAZE-7」【Play Back the OPTION Spin off】

当時(1990年代初頭)、OPTION誌の中で「走り屋ミュージシャン」というコーナーがありました。ステージ上で歓声を浴びるミュージシャンでありながら、チューニングカー好きな方を紹介していたコーナーです。

登場していたのは、ネバーランド(LAZYのポッキー井上さん/ファニー田中さんがLAZY解散後に結成したバンド)のギター:阿部たくみ(本名:大金泰博)さんをスタートに、LAZY→LOUDNESS→SLY→BLOOD CIRCUSで活躍していたドラム:樋口宗孝さん、REACTION→GRANDSLAMで活躍したヴォーカル:加藤純也さん(現:お兄様が代表を務めるカーグラフィック誌カメラマン)、ANTHEM→FINGERのギター:福田洋也さん、そのFINGERのドラマー:パンク成川(紅)さん(V-OPTでもお馴染みでしたね!)などに登場していただいていました。

そんな中、筋金入りのチューニングカー好きで、自らもチューニングカーを乗り回していたふたりがおりました。

D’ERLANGER(デランジェ)→BODY→CRAZE(クレイズ)→D’ERLANGER(現在)のギター:瀧川一郎(CIPHER)さんと、ドラム:菊地哲(TETSU)さんです。

一郎さんと哲さんは、ともにRE雨宮信者であり、哲さんは一時期、RE雨宮のデモカー「GReddy7-Ⅲ」のオーナーだったりもしていました。その時期に一郎さんが乗っていたのが、フル雨宮仕様の「RE雨宮Super-G CRAZE-7」と命名されたFD3Sです。江東区や冨里のRE雨宮に通い詰め、湾岸〜大黒を雨さんと一緒にヤンチャしていました。

当初は通称「茄子色」の濃い紫のFD3Sで、プロモーションビデオに登場させてもいました、その後、ピングがかった「ヤンキー紫(!?)」にカラーリングを変え、東京オートサロン1998出展〜OPTION2の表紙を飾ったのです。

BODYやCRAZE時代のプロモーションビデオでは、エンディングロールの中にSpecial Thanks「Option」「RE Amemiya」な〜んて紹介してくださっていたり(笑)。バンド活動とチューニングカー活動を同時に楽しんでいたのが、よ〜く分かります!

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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