80年代を駆け抜けた超強烈インパクトな関西チューナー、クロキンZのMr.Mこと光田勝利とは?【OPTION1981年8月号より】

OPTION誌創刊号から懐かし記事&チューンドマシンたちを紹介している中で、最高速やゼロヨン記事の中にたびたび登場してくる超強烈キャラな方がMr.M。

「ヒャ~懐かしい!」「ダレやねん、このおっさん!?」と思われる方が半々くらいではないでしょうか。ってことで、今回は大阪でも一種独特!?な異彩を放つMレーシング代表、Mr.Mこと光田勝利さんのご紹介です。

とはいうものの、あたしは光田さんに一度もお目にかかったことはありません。歴代OPTスタッフでも、お会いしたことがある人は80年代初頭に在籍していた少数。「伝説のチューナー」、この言葉がピッタリと当てはまるのが、Mr.Mでしょう。

1994年(阪神淡路大震災の前年)、闘病の末、惜しくもこの世を去ってしまったMr.M。入院中、病室から見える駐車場にMr.Mの象徴でもあったS30クロキンZを駐車し、毎日眺めていたと聞きました。人生そのものをL型エンジン、フェアレディZに捧げていたMr.M。

強烈な個性と魂でチューニング人生を築いた熱い世界を覗いてみましょう。

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必殺・改造人 Mレーシング 光田 勝利
時はゼロヨン戦国時代。黒いツナギに赤いM、これがウワサのMレーシングだ!

チューンドカーの東の横綱がRE雨宮なら、西の雄はMレーシングにトドメをさす。東西ショップ対抗ゼロヨントーナメントでは、並みいる強豪を尻目に1位、3位を奪取、ズバ抜けた強さを見せ付けた。果たしてMレーシングの速さの秘密は!? ゼロヨンに憑かれた男たちの群像を追え!

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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