一体どのようなヒストリックF1マシンがやってくるのか、参戦車両をご紹介します!
■Tyrrell 001(1970年)
ジャッキー・スチュワートのドライブで1970年F1第11戦カナダGPに現れたTyrrell 001は、いきなりポールポジションを獲得。70年はトップを走るも全てリタイアに終わりましたが、翌71年には南アフリカ、非選手権のカナダとブランズハッチで2位に入り活躍しました。
■Brabham BT37(1972年)
ロン・トーラナックから、新たにバーニー・エクレストンが代表に就任したモータースポーツ・ディベロップメント(ブラバム)が1972年用に用意したマシン。Brabham BT37は2台のみが製作されましたが、このシャシーナンバー2は、ロイテマンのレースカーとして第5戦ベルギーGPでデビューしています。
■Hesketh 308B(1974年)
ヘスケスは大富豪でレース好きの貴族、アレキサンダー・ヘスケス卿が設立したレーシング・チーム で、気鋭の新人ジェームス・ハントを擁して1973年からF1へと進出。74年からポスルスウェイト設計のオ リジナル・マシン308を投入し、4月にブランズハッチで行われた非選手権のBRDCインターナショナル・トロフィーで優勝したほか、公式戦で3度の表彰台を獲得しました。
■Maki F101C(1975年)
日本初のプライベートF1チームとして1974年から挑戦を開始したマキ・エンジニアリングが1975年シーズン用に用意したマシン。資金難からヨーロッパ・ラウンドのみのエントリーとなり、イギリスGPとオランダGPで鮒子田寛氏、ドイツGPとオーストリアGPでトニー・トリマーがドライブしました。
■Williams FW04(1975年)
1969年にプライベーターとしてブラバムBT26AでF1挑戦をスタートした、フランク・ウイリアムズ・レーシングカーズ。FW04はウイリアムズが1975年用に用意したマシンで、スペインGPでデビュー。DFVとFG400 を組み合わせた典型的な「キットカー」であるものの第11戦ドイツGPでラフィーが予選15位から値千金の 2位でフィニッシュ。チーム創設後初めての表彰台を獲得しました。
■Brabham BT49C(1981年)
ブラバムのオーナーであるバーニー・エクレストンは、デザイナーのゴードン・マーレイに、BT48に搭載するアルファ・ロメオV12エンジンを諦めコスワースDFVへの載せ替えを指示。1981年にはカーボンで補強したアルミモノコック、ジャッドチューンのDFV、アルファ・ロメオ製ケースにFG400を組み合わせたギヤボックスなど基本スペックは同じながら、スライディングスカート禁止対策としてハイドロニューマティックサスを搭載したBT49Cが登場し、ネルソン・ピケが3勝を挙げて初のドライバーズ・タイトルを獲得しました。
■Williams FW08(1982年)
全15戦中11人のウィナーが誕生するという、史上稀に見る混戦となった1982年シーズンにおいて、第14戦スイスGPで挙げた初優勝の1勝のみでチャンピオンとなったケケ・ロズベルグがドライブしたチャンピオンマシン。ドイツGPで3位、オーストリアGPではエリオ・ デ・アンジェリスのロータス91との接戦の末、惜しくも2位となったヒストリーをもっています。
■Lotus 92(1983 年)
前年の91をベースにチームロータス創立者のコーリン・チャップマンと、デザイナーのマーティン・オグルビーが開発し1983年シーズンに投入されたマシン。1983年シーズンの8戦まで、後に1992年に年間チャンピオンを獲得するナイジェル・マンセルがドライブし、デトロイトGPでの6位が最高位となりました。
この他にもLotus76(1974年)、March761(1976年)、McLarenM26(1976年)、PenskePC(1976年)、Tyrrell012(1983年)が参戦。合計13台による「マスターズ・ヒストリック・フォーミュラ1」でどのようなエキシビジョンレースが繰り広げられるのか、必見です!