イタリアの情熱が宿るクルマメーカーの誕生は「偶然の出会い」から【意外と知らないクルマメーカーの歴史・アルファ ロメオ編】

しかし、第二次世界大戦で本社工場は破壊。

終戦後に立て直しが図られ、戦前にわずかに生産していた市販車「6C」を改良して販売を再開。ミラノのカロッツェリア・トゥーリングが手掛けたデザインは絶賛され、ヴィラ・デステのコンクール・デレガンスで優勝。ちなみに、アルファ ロメオのアイコンとなる盾のグリルは、このモデルから採用されています。

1950年には戦前の少数生産からの転換はさらに加速し、4気筒エンジンを搭載するセダン「1900」が登場。さらに、大量生産に適したモノコック構造する一方で高価な軽合金や独立懸架式フロントサスを与えて走行性能を追求した小型車「ジュリエッタ」を発売し、1962年にはその後継モデルである「ジュリア」を発表。1977年の販売終了までイタリアはもちろん、世界各国でイタリアの情熱が宿る個性的なモデルとして多くの人に愛されました。

そして、その「ジュリア」が新型となって再び発売されました。

ボディタイプは実用性を備えるセダンですが、フロントマスクや510psを誇るエンジンを搭載して走りの良さをアピールするなど、まさにアルファ ロメオならでは。

偶然の出会いがなければ、実現できなかったかもしれないと思うと……。

(今 総一郎)