アスカ・ディーゼル・ターボが男気速度記録に挑んでいた!【OPTION1984年1月号より・前編】

乗用車用ディーゼルエンジン、日本の先駆者!・・・と勝手に思う、いすゞの名車、アスカ。

OPT最高速テストではまったく姿を見ないいすゞ車ですが、なんと! FIA公認のスピードトライアルに挑戦していたことをご存知でしょうか? ステージは日本自動車研究所・通称:谷田部の高速試験路の1周5.5km。かつてトヨタ2000GTやニッサンR380が挑戦したスピードトライアルですが、今回、16年ぶりに行われた国際スピードトライアル。テストは1983年10月21~22日。1時間のスプリントと24時間耐久の2種にチャレンジ。

FIA国際スポーツ法典に基づき「カテゴリーA:4輪特殊自動車 グループ3:過給自由のディーゼル クラス7:排気量1500~2000cc」。そして、この挑戦の意義は「ガソリン・エンジンを超えることを目標として、高速・高性能ディーゼルへの技術挑戦への一環」という、男気な挑戦でした。

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ドキュメント 1983年10月21日
指示されたレブリミットは+-10rpm!
バンクには「絹の糸」のような走行ラインがあった!

午前10時18分、津々見友彦のドライブする1号車はゆるゆるとスタートしていった。スタンディングスタート1周目こそ1分47秒59、平均速度183.09km/hだが、2周目以降は1分31秒台で正確無比に周回し、1時間1分18秒76後の11時19分、40周を走り終えてゴールした。

100マイルの平均速度213.99km/h、1時間の平均速度214.19km/h。いずれもアルファロメオの記録を抜いた。コクピットから降りたった津々見はさほど疲れた様子もなく、カメラマンにポーズをとっていた。

が、本番はこれから。これはウォーミングアップだ、といった感じであった。

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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