アスカ・ディーゼル・ターボが男気速度記録に挑んでいた!【OPTION1984年1月号より・前編】

続いて午後2時20分、2号車による24時間スピードトライアルが始まった。1時間トライアル後に降り始めた雨によって、路面に水溜りができている中でのスタート。雨中でも一定のペースで淡々と周回する。第1ドライバーは再び津々見だ。

スタートして3時間後、雨雲と迫りくる夕闇によってあたりは薄暗い。間断なく降り続ける冷たい雨によって、なんとなく陰鬱な雰囲気だ。そんな中、静かにピットイン、給油ストップだ。10名ほどのピットマンがとりつき、約20秒弱で120Lを満タンにし、第2ドライバーの永田雅一が乗り込み、バンクに突入していった。そして、淡々たる走行が再開された。

ターボというせいか、ストレートマフラーでありながらアスカ・ディーゼル・ターボの排気音は低く、おとなしい。スピード感に欠け、ツーリングといった感じだ。が、ドライバーといすゞの技術者にとっては、最後まで気の許せないチャレンジが続いている。

3時間のドライブから解放された津々見は、4400+-10rpmで走るように指示されているので、直線部分ではアクセルコントロールに凄く神経を使う。休めるのはバンク。が、そのバンクも微妙で、絹の糸みたいなラインがあり、その上を通らないとスピードが殺される」、なんともシビアなことか。単調に走り続けるが、限界ギリギリのところで走っていることをうかがわせる。そして、デリケートな操作を要求されるドライバーもまた、精神的肉体的に厳しい自己制御を強いられているわけだ。

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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