【富士重工業→SUBARU 社名変更記念式典】モノをつくる会社から、笑顔をつくる会社へ。あの問題の社歌の歌詞はどうなった?

明日、2017年4月1日から、富士重工業株式会社は社名を変更し、株式会社SUBARUへと生まれ変わります。

そのキャッチフレーズは「モノをつくる会社から、笑顔をつくる会社へ。」です。

それに先駆け、3月最後の31日、社名変更記念式典が行われました。

これは、社員向けに行われた式典で、恵比寿本社に勤続する社員のうち約600名程度が出席していました。

その社員に向けて吉永泰之社長による新社名のネームプレート除幕のあと、次のように述べました。

「私たちは良いモノをつくる努力をしてきました、その中で、モノに加えて価値はなんなんだろう、と考えてきました。スバルとは、富士重工とはなんなんだ、と考えてきました。日本においてはその価値は安心と楽しさであろうということで続けてきました。飛行機を作ってきた会社が安全、安心、クルマと生活する楽しさを届けてきました。

そのおかげで世界での評価も上がり、大きく成長でき、新たな価値を見出す、創造し続けているところであります。

私たちはものづくりの会社なので、モノを通して価値を届ける会社へと変化してきました。

社名変更は、これからは価値を提供するブランドとしていくという決意表明、これからの私たちの決意表明である、と思ってください」

と社員へ向けてメッセージを届けました。

最初にあったキャッチフレーズは、「モノをつくる会社から、価値を届ける会社へ。」となっていたそうです。が、ここから価値とはなんぞや、価値を決めるのは誰だ、お客様にとっての価値はなんだ?ということを忘れてはいけない。そこで何が起きるのか、笑顔になる、ということで「モノをつくる会社から、笑顔をつくる会社へ。」なったのだそうです。

さらに、社員へ向けて、二つの伝達がありました。

ひとつが社歌。これが大問題だったそうで、社歌への思い入れがある人が多く、社歌を変えてくれるなという意見も多くあったのだそうです。しかし、これまでの社歌には「富士重工」を連呼する歌詞が含まれており、変えないわけには行きません。実はこの社歌、あの有名な段伊玖磨さんによる作曲だったのもあり曲は変えずに、歌詞中の「富士重工」が「我がスバル」に変わるだけの変更に落ち着きました。

実はこの作詞をしたのは元社員だそうで、「ちょっとだけ変えさせてほしい」とその方の元へ総務部長がお願いにしていったとのエピソードも披露。

もうひとつが社章を新しくしたこと。これまでは純銀の社章からブルーの社章に変わります。しかし、その色が変わっただけではありません。このブルーの社章は富士重工の社章だけでなく、SUBARUグループ会社のグループ章として使用されるとのこと。ここからも、みんなで力を合わせて作り上げていこう、というスタンスが見て取れます。

最後に、「いま自動車産業は大変大きな変革期、たくさんの課題があり、その困難を全員で乗り越えていく決意をしてほしい」と述べて締めくくりました。

 

4月3日の全国のほぼすべての新聞に30段で広告が出るそうです。

ここには、今まで、富士重工の先輩や社員たちが努力してきたことが左に書かれています。ぜひ、読んでみてください。

(文・写真:clicccar編集長 小林 和久)

この記事の著者

小林和久 近影

小林和久

子供の頃から自動車に興味を持ち、それを作る側になりたくて工学部に進み、某自動車部品メーカへの就職を決めかけていたのに広い視野で車が見られなくなりそうだと思い辞退。他業界へ就職するも、働き出すと出身学部や理系や文系など関係ないと思い、出版社である三栄書房へ。
その後、硬め柔らかめ色々な自動車雑誌を(たらい回しに?)経たおかげで、広く(浅く?)車の知識が身に付くことに。2010年12月のクリッカー「創刊」より編集長を務めた。大きい、小さい、速い、遅いなど極端な車がホントは好き。
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