あまり知られていませんが、実はほぼ全ての日本の自動車メーカが、WRCなどの国際ラリーにファクトリーチームが参加した経験があります。ラリーの競技車両は市販車をベースに製作するのでテストの側面からも他のモータースポーツカテゴリーより幾分参戦に理解があったのかもしれません。
●ホンダ
「サーキットは走る実験室」を標榜し、モータースポーツ活動は一貫してサーキットに軸を置いてきたホンダ。日本の自動車メーカーでは唯一、ラリーはプライベータ-の支援以外、目立った活動をしていませんが、全日本ラリーでは近年まで「インテグラ タイプR」(DC2)が大活躍していました。
しかし、生産終了後15年以上経過し、ホモロゲーション(認証)も切れました。現在シビック・フィットが国内外で奮闘中です。
●いすゞ
83年にファクトリーチームがRACラリー(イギリス)「ジェミニ」(PF)で参戦。初参加でクラス優勝を果たしています。残念ながらラリーの公式サイトにリザルトが未掲載でオフィシャルな総合の順位などは不明です。現在、乗用車を生産していませんので、復帰の可能性もありません。伝説というより神話のメーカーです。
●ダイハツ
小型車を中心に生産するダイハツも「シャレード」でサファリラリーに参戦し、何度も完走を果たしています。
2代目(G11)の時には、排気量が1Lだったエンジンをターボ化による排気量によるクラス分けで有利な926ccに下げて、グループB規定の200台を生産すると云う超本気マシン「926ターボ」(G26)を発売しました。
3代目(G110)でもサファリラリーへの挑戦は続き、93年にはグループAの並み居るモンスターマシンが次々と脱落するカーブレイカーラリーで総合5位で完走しています。
●マツダ
グループ4,グループB時代にRX-7(SA22C)で散発的な参戦後、グループA時代に「323」(6代目ファミリア)でWRCに本格参戦します。
1600cc・4輪駆動の323は2戦目のスウェーデン・ラリーで総合優勝を飾り、チャンピオン争いを期待されました。しかし、排気量上限2000ccに対して1600/1800ccでの挑戦は常にパワー不足との戦いでした。
その後バブル景気の後退により、モータースポーツ活動が縮小・撤退となりました。撤退時のベース車両はその年グループN(より改造範囲の狭いクラス)でタイトルを獲得するなど、基本性能が髙かっただけに撤退は惜しまれました。
しかし、現在もラリーのベース車両となるデミオ(15MB)を販売するなど、メーカーの情熱は今も灯されています。
●ニッサン
日産は1963年にサファリラリーへ参戦を開始しました。66年に「ブルーバード」(410)でクラス優勝を飾ると、更に510型ブルーバードや「フェアレディ240Z」(S30)では総合優勝を果たします。
その後、オイルショックによる活動縮小の中でも、「バイオレット」(710/PA10)による4連覇を果たすなどサファリには日産の黄金期がありました。
グループBからグループAと時代が移る頃も後輪駆動の240RS/200SXで参戦します。
が、4輪駆動が主流となる中では苦戦を免れず、4輪駆動車が待望されました。そしてコンパクトな車体にハイパワーエンジンを搭載した「パルサーGTI-R」が投入され「ラリーの日産」復活に期待が集まりました。
しかし、狭小なエンジンルームに高出力エンジンを登載した結果、重量バランスと冷却に苦しみます。更に規定でタイヤハウスの拡大が出来ず、14インチタイヤしか使用できないため、グリップ不足にも陥ります。3位を1度獲得しますが、車の素性部分の改善は難しく、2年程で活動を終了し現在に至ります。