なんと1/1クレーモデルになってもそのヘッドライトが丸目の固定式だったこと、ガラスハッチ3分割への変遷など、生産型へと至るストーリーを披露していく中、小野さんがデザインをしていた時代は、現在とは違いデザイナーがクレーモデルを削っていた話や、いかにクレーモデラーとデザイナーの関係性が密であったかという話などが盛り込まれていきます。
そして話は、SA22Cのデビューへ。実はIMSA仕様についても量産のカタチが決まった段階で、量産のクレーモデルをベースに小野さんがデザイン、カラーリング。外国人ジャーナリスト向けの発表会で、ニューモデルの発表と同時にレースモデルを発表、これが外国車メーカーを含めて、前代未聞だったそうです(2代目のFC3Sでも同時公開をしたそうです)。
その後、オイルショックとスポーツカー(とデザイナー)不遇の時代について語り、2代目サバンナRX-7、FC3S型のデザインストーリーへと進みます。
世界的に大成功をおさめた初代を受け、小野さんは2代目のデザインを任されます。そのプレッシャーの話からFCの話が始まります。特徴的なブリスターフェンダーを軸にその後マツダの伝統となる敏腕なクレーモデラー、その1人である萬谷清敏氏とのストーリー、そして、それまで谷田部の日本自動車研究所の風洞試験場を用いていた空力チェックですが、社内の三次試験場へ風洞が建設されたストーリーなどが展開されます。