【東京モーターショー15】三菱の戦後はジュラルミン製の自転車製造から始まった!?

さて、日本自動車工業会の正副会長5人が集まり、豪華なトークセッションが開催されたわけですが、その前に出席した5メーカーのトップが創業(前後)の由来やどんな事業をしてきたのか自社紹介するシーンがありました。

なお、テーマは「日本のモノづくり」、「未来のモビリティ」というものでこちらは別の記事でご紹介します。

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司会の久保純子アナウンサーから最初に指名された三菱自動車の相川社長は、「三菱は1970年に三菱重工業から分離・独立し、1917年に初めて三菱A型を作り、これが初の量産乗用車で、4年間で22台作ったそうです」。

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さらに続けて「戦後は飛行機を作ることもなくなり、戦争中に飛行機を作っていた技術者が集まって自転車を作りました。飛行機の技術者が作っただけあってジュラルミン製で、軽くて丈夫で戦後のスタートになりました。1960年に作った三菱500は国民車構想に則ったもので、こちらも飛行機の技術者が作ったため当時としては珍しく、風洞実験がされています。それ以来、デザインと風洞実験を一緒に行うというのが三菱自動車の流れになっています」と語っています。

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知っているようで知らないエピソードが各自動車メーカーのトップから出てきましたので、残り4社の話もこれからご紹介していきます。

(塚田勝弘)

この記事の著者

塚田勝弘 近影

塚田勝弘

1997年3月 ステーションワゴン誌『アクティブビークル』、ミニバン専門誌『ミニバンFREX』の各編集部で編集に携わる。主にワゴン、ミニバン、SUVなどの新車記事を担当。2003年1月『ゲットナビ』編集部の乗り物記事担当。
車、カー用品、自転車などを担当。2005年4月独立し、フリーライター、エディターとして活動中。一般誌、自動車誌、WEB媒体などでミニバン、SUVの新車記事、ミニバンやSUVを使った「楽しみ方の提案」などの取材、執筆、編集を行っている。
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