ロードスター軽井沢ミーティング2015、過去最高の1323台(内ND44台)が集結!

初代ロードスター発表から3年後の1992年から始まったロードスター軽井沢ミーティング。今回で23回目、現在の軽井沢プリンススキー場駐車場に場所を移してちょうど20回目となる軽井沢ミーティング2015には、史上最大1323台のロードスター、参加者数は2154名(高校生までの子供はノーカウント)の参加者がありました。

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ロードスターミーティングは、いまでこそメーカーも「出展」しているマツダオフィシャルのイベントのようになっていますが、歴史を辿れば単なるファンミーティングから始まったもの。マツダとしても、そのイベントだけ特別扱いするのもできなかったかもしれません、あくまでも静観するような立場だったと思います。

しかし、このところのマツダは、ファンやユーザーをエンジニア、デザイナーなどの開発者とコミュニケーションと取ることで、自分たちの目指す方向性の確認、ひいてはより良いクルマ作りへと繋げていく戦略を取っており、まさにその路線にはピッタリのファンミーティングであったわけです。

いや、逆かもしれません。以前はマツダの社員としていくのかファンとして参加するのか、微妙なロードスターファンの社員もいたはずです。そういう人たちの参加がいまのマツダ車のヒット作の原動力となったのでしょう。それでメーカーとしても積極的に「参加させてもらっている」スタンスとなったのではないでしょうか。

いやいや、さらに言えば、マツダは90年代初頭に、第2のマツダと言える「M2」を立ち上げ、ファンとコミュニケートしながら将来のクルマ作りの糧にしようというプロジェクトがスタートしていました。様々な事情、主に経済的でしょうけれど、残念ながらM2は無くなってしまいましたが、そのマインドは軽井沢ミーティングなどに受け継がれ、25年の時を経てその目的を果たしているはずです。

この記事の著者

小林和久 近影

小林和久

子供の頃から自動車に興味を持ち、それを作る側になりたくて工学部に進み、某自動車部品メーカへの就職を決めかけていたのに広い視野で車が見られなくなりそうだと思い辞退。他業界へ就職するも、働き出すと出身学部や理系や文系など関係ないと思い、出版社である三栄書房へ。
その後、硬め柔らかめ色々な自動車雑誌を(たらい回しに?)経たおかげで、広く(浅く?)車の知識が身に付くことに。2010年12月のクリッカー「創刊」より編集長を務めた。大きい、小さい、速い、遅いなど極端な車がホントは好き。
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