トヨタ自動車の最高顧問で、同社を世界トップクラスの自動車メーカーに育て上げた豊田英二氏が9月17日未明に逝去されました。
9 月12日(木)にちょうど100歳の誕生日を迎えたばかりだったと言います。
豊田英二氏はトヨタグループ創業者である豊田佐吉氏の甥(おい)に当たり、トヨタ自動車を創業した佐吉氏の長男 豊田喜一郎氏とはいとこの関係。(豊田章男氏は豊田佐吉氏直系の曾孫)
1936年に東大工学部 機械工学科を卒業後、豊田自動織機製作所に入社。翌年、同社自動車部を分離独立させて設立した「トヨタ自動車工業」で一貫して技術畑を歩み、国産乗用車の開発に従事。
1945年に30歳強の若さで取締役に就任後、常務、専務を経て1967年に第5代社長に就任。 以来、1982年の工販(トヨタ自動車工業×トヨタ自動車販売)合併まで約15年に渡って社長を務め、その間に豊田喜一郎氏考案の「ジャスト・イン・タイム」方式を更に発展させた現場からの発案による「カイゼン(Kaizen)」活動の徹底により、高効率で高品質な生産システム「トヨタ生産方式」を確立。
工販合併後は豊田喜一郎氏の長男である豊田章一郎氏に社長職を譲り、自身は会長職に就任。
1983年になると、豊田英二氏は日米間で発生した自動車摩擦回避に向け、GMとの合弁会社「NUMMI」の設立を決断。北米初の現地生産をスタートさせ、トヨタがグローバル企業へと躍進する礎を築きます。
10年間に渡って会長職を務めた後、1992年に会長を退任。1994年に本田宗一郎氏に続き、日本人として2人目となる米自動車殿堂入りを果たしています。
トヨタのみならず日本の自動車産業発展に大いに貢献した豊田英二氏。
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