〈Monday Talk星島 浩/自伝的・爺ぃの独り言30〉 正社員としては10年在籍に過ぎないが、会社を追われた後も先生方に望まれてロードテスト要員を続け、たまに透視図を画くほか、メカ解説や試乗レポートを執筆。役員在任は短いものの、三栄書房設立発起人で小株主の一人とあっては、競合誌に執筆できる立場じゃない。
すべてシリーズ第1号となった、「トヨタ・ソアラのすべて」1981年刊行。
が、自動車専門誌のあり方に疑問を覚えたのが1974年のオイルショック—-満10年続けた平凡パンチ誌カーデスクを辞め、専門誌に戻ろうと思い立ち、改めて目を向けると内容に満足できない。
私は今も専門誌は新型車と新技術紹介を優先すべしと考える。
むろん社会的存在意義や環境問題を避けて通ることはできず。自動車が車商品である以上、市場性やマーケット情報も不可欠だが、総合誌をめざすあまり、肝心の新車・新技術紹介記事が新聞や週刊誌と同レベルでは物足りない。もっと新型車紹介ページ数を増やし、内容充実を図っては? と幹部に進言したが、聞き入れてもらえなかった。
ならばと思いついたのが丸ごと1冊の「すべてシリーズ」。
ヒントは同業ジャーナリスト・三本和彦さんがTVK=テレビ神奈川で始めた「新車情報」—-テレビ朝日からTVK役員に転じた江間守一さんが番組を企画。メインキャスターを三本さんと決め、ピンチヒッター要員として私にも出演依頼と協力要請があった。江間さんもクルマ好きで親しかったし、わがカミさんがテレビ朝日で働いていた。
喜んで企画協力とゲスト出演に応じたものの、キャスター役を固辞したのは、私に三本さんほどトーク能力がないのと、全編CMと受け取られかねない番組がTV放送で許されるのか、心配があった。
TBSの「ヤング720」でクルマ&バイク・コーナーを担当していて、新車や新技術の説明が「コマーシャル・メッセージに当たるのでは?」と注意されたり、時間制限を余儀なくされた経験ゆえだ。
が、「新車情報」が始まるや、大ショックを受ける。
三本さんの絶妙な語り口。開発担当者に対する遠慮ない質問と応酬が、常にユーザーの立場で行われている。稀にはもっと突っ込んでほしいこともあるが、あくまでユーザーレベルの「辛口」にとどめる優しさを覚え、広告効果を超越する「新車情報」番組に作り上げていた。正直「やられたァ」と思う半面「丸ごと1冊」企画に意欲が湧く。
しかしTV番組で45分は短くないものの、誌面展開すると16頁程度に過ぎまい。それでも新型車紹介と市場背景、開発過程、機種構成と装備、価格、試乗印象、対象ユーザーと使い勝手、デザイン&パッケージ評価、メカニズム解説—-各項目につき、従来専門誌2〜3倍の誌面を用いれば60頁強の小冊子に纏めることができる。紙媒体の将来はともかく、内容を充実させれば資料性が認められるだろう。
ところが、時間をかけて企画を練り、三栄書房に持ち込んだのに、即座に断られた。強硬に反対したのは鈴木脩己社長(当時)—-「1冊丸ごとメーカーの御用雑誌なんか発行できるもんか!」と。
暗礁に乗り上げ、一時は自ら編集制作し、三栄書房を発売元にすべく準備にかかったあたりで佐々木立朗編集局長(当時)が取りなし、鈴木社長も折れて「モーターファン臨時増刊号なら良し」となった。
第1弾は初代ソアラ。第2弾はピアッツァ。以後数冊の臨時増刊扱いを経てムック形式で独立。オールカラーで制作費がかかるため売価が安くなく、当初の売れ行きも芳しいとは言えなかったが、しだいに認知度が上がり、今や500弾目前。なんと三栄書房の稼ぎ頭だと。
むろん創刊以来、主筆を務めた私は250弾まで休みなく多くの頁を書き続け、その後は新しいライター発掘と育成を心がけながら、自らも取材などに付き合ったが、三栄書房の経営形態が改まり、持ち株を手放すと同時に顧問契約も辞し「すべてシリーズ」から身を退いた。
引退して気づいたのは、経営陣が改まったためだろう、それまで厳しく戒めていた「御用雑誌」的色彩をちょいちょい目にすること。良い意味でのマンネリは構わないとして、忙しいのか、ときに執筆内容がネット「検索」で得られる情報をなぞっただけで物足りないこと。有力ライバル誌が出てこない点が強みだが、もっと個性的で存在感ある執筆者を起用、あるいは育てて欲しいなどなど—-言うは易し、か。
もう一つは資料性だ。
新型車発売と同時に発刊されるのは良し。カタログ頁もあるので手許資料として重宝なのだが、追加機種やマイナーチェンジ情報がないので、困ることがある。できれば他車種の別冊で構わないから、編集後記扱いでフォローしてもらえるとありがたいのだが—-。★