セナと中嶋のロータス99Tは日本F1の夜明け「ジョーホンダ写真集」

今年のF1グランプリ、ドライバーもコンストラクターズもワールドチャンピオンが決まりましたね。しかし、今年のF1グランプリはまだ続きます。(ちょっとナガイ?)日本でF1の全戦地上波放送が始まった’87年、F1グランプリは年間15戦でした。

ジョーホンダ写真集の10号目はセナと中嶋のLOTUS99T

第1戦のブラジルGPでは、ゲスト解説に当時パリダカに参戦していた俳優の夏木陽介さん。今ではF1にパリダカのゲストはちょっと考えられませんが、当時は深夜放送。作り手もまだまだ手探り感たっぷりでした。(副音声でロックを流したりしてましたねぇ。)

そんな、開幕戦の予選グリッドの上位3台にはウィリアムズの2台とアイルトン・セナのロータスと3台のホンダエンジン搭載車が並んでいました。そしてもう一台のロータス、“我らが中嶋悟”はデビューレースで予選12位を獲得。出走全車中、1台だけ5kgものオンボードカメラを積むというハンデを抱えて出走します。途中、他車のトラブルのとばっちりで右のミラーを無くしながらの7位完走。今なら、ポイント獲得だった大殊勲のレースでした。

こちらは'87Rd.10ハンガリーGPのページ

次のサンマリノGPでの6位初入賞を皮切りに、この年中嶋選手はイギリスGPの4位入賞を筆頭に4度の入賞を果たします。一方、チームメイトのアイルトン・セナはポールポジション1回、2度の優勝。11度の入賞、ランキング3位と「音速の貴公子」のイメージを不動のモノとしていきます。

2人のマシン、ロータス99T・ホンダはF1初のアクティブサスペンション搭載が話題でした。完成度と信頼性は今一つでしたが、このキャメルイエローのマシンをF1の原風景として記憶している日本人は多いのではないでしょうか。翌年セナは、マクラーレンに移り世界チャンピオンへと駆け上がります。一方、中嶋は残留し’87チャンピオンのピケとコンビを組みますが、一般的なサスに戻したLOTUS100Tは失敗作でマクラーレンの牙城に迫る事すら出来ませんでした。

'88Rd.2 サンマリノGP LOTUS100T 見た目は格好良いのに全くダメダメ

そんな24年前の記憶を呼び覚まさせてくれるのが、「ジョー・ホンダ写真集」です。日本人カメラマンとして初めてF1グランプリを追い続けたジョー氏は60年代後半からヨーロッパを中心に活動し、近年はヒストリックカーイベントを中心に撮影活動を続けられています。
’87年迄はF1グランプリの現場に日本人カメラマンがごく僅かだった時代。そしてこの年もジョーさんの写真は貴重な当時のF1マシンとそのディティール、グランプリに生きる人々の生活を、日本にそして今に届けてくれます。10冊目となる本誌では’87年のLOTUS 99Tと’88年の100Tを特集しています。

中嶋が前年4位に入ったイギリスGPでも100Tはもう一つ奮わない…。

こちらのシリーズはモデルファクトリーヒロより毎月刊行されています。
既刊にはLOTUS78や97T、Ferrari 312T2、Mclaren M23やMP4/4、TyrrelP34、Brabaham BT46/46B等ツボを押さえた車種選定がたまりません!
お求めは書店ではなく、ポストホビー各店を始めとしたミニカーショップ、F1グッズショップを中心に発売されています。因みに次号は’87Ferrari F1/87&F1/88です。

このシリーズでは比較的新しめの車。F1/87は見た事のある人も多い筈

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(川崎BASE)