「真面目に作りすぎてイマイチ」だったレオーネを、大ヒット作・レガシィに生まれ変わらせた執念とは?【クルマ塾・SUBARU編】

『クルマ塾・SUBARU編』、EJエンジンの開発秘話を語っていただいた工藤一郎さんに続いて登壇したのは、大林眞悟さんでした。

おもに操安性の部門で研究実験を担当された大林さんは、スバル360誕生から歴史を振り返り、百瀬晋六さんの功績をたたえながら「この人がいなければ日本の自動車産業の発展はなかっただろう」と回想します。

じつはスバル360の成功の前には、1952年に開発がスタートした「P-1」(スバル1500)の存在がありました。飛行機やバスの技術を応用したモノコックボディなど斬新な企画でしたが、残念ながら資金難で生産まではたどり着くことはなかったといいます。

当時としては1500ccは高級車の部類だったそうで、当時の取引銀行からは資金を融通してもらえなかったそうです。

そこで「自分たちに何ができるか」を考えた結果誕生したのがスバル360でした。P-1より広い市場に向けて開発がスタートしました。ラビットの工場設備を活かして生産できるエンジンや、極限までのスペース効率など、徐々に概要が固まっていきました。

当時は、上り坂でオーバーヒートによりエンジンが止まってしまうクルマも多く、スバル360には、群馬・赤城山を一気に登りきる動力性能も目標として盛り込まれました。

薄い鉄板でも剛性が出るようにボディを丸くし、A&Bペダルはタイヤの中心に置くレイアウトにし、リヤサスではアクスルシャフトをトレーリングアームの役目を持たせるなど、かぎりあるスペースを活かす工夫を随所に盛り込まれていきました。ルーフはFRP、ブレーキにはアルミを用い軽量化に尽くしました。