大分県・臼杵磨崖仏【車中泊女子の全国縦断記】

大分県の臼杵(うすき)にある『臼杵磨崖仏』を見てきました。
古園石仏大日如来像に代表される臼杵石仏(磨崖仏)は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたと言われており、4群60余体の磨崖仏のうち59体が磨崖仏では全国初/彫刻としても九州初の国宝に指定されています。

拝観料は、大人(高校生以上)530円/小人(小中学生)260円。
隣接の『ヤマコ臼杵美術博物館』とセット料金(¥700)があったりJAF割引(¥400)があったりしました。

 

(上)阿弥陀三尊像 修復前→修復後 (下)如来坐像3体と菩薩立像2体 修復後←修復前
(上)阿弥陀三尊像 修復前→修復後 (下)如来坐像3体と菩薩立像2体 修復後←修復前

杉林の緩やかな坂を昇って行くと、まず最初に『ホキ石仏第2群』(コースとしては最初だけど「第2」)の説明板が。修復前の写真も載っています。
※ホキとは、「がけ」という意味の地名なんだそうです。

九品の阿弥陀、阿弥陀三尊像などが岩壁に彫刻されています。

その先には『ホキ石仏第1群』。
地蔵菩薩半跏像並びに十王像の11体には、うっすら色が残っていました! 千年以上前のものですよ!
きっと、完成当初は美しい極彩色だったのでしょうね。

 

 

 

(上)山王山石仏 (下)古園石仏 修復後←修復前
(上)山王山石仏 (下)古園石仏 修復後←修復前

さらに少し登ると山王山石仏。
中央に丈六の如来像と左右に如来像(写真右上)、丈六の如来像が彫られています。
石仏群はどれも優しいお顔をしていますが、わたし個人としてはこちらの如来像がもっとも慈悲深い表情のように感じました。

さらに高台へと石段を登っていくと、日吉神社が鎮座。これは神仏混合の名残なのでしょう。
磨崖仏がいつ造られたかも不明ですが、日吉神社も創建年代は不明だそうです。
天正年間に記録などが焼失したと書いてあるので、少なくともそれ以前なのでしょう。

近くには、半分埋まった状態ですが『石造五輪塔』(県指定有形文化財)が見られます。意外な小ささにビックリ。
ホキ石仏第1群大地上にある、『嘉応・承安』の銘が刻まれている『一石五輪塔』と形態的に似ていることから、系譜を引いているものと考えられているそうです。
形態的特徴から、製作されたのは平安時代末期〜鎌倉時代初期のころではないかと推定されているそうなので、磨崖仏が製作された時期と同じくらいなのでしょうね。

また石段を下りて山王山石仏へ戻り、その更に下段にあたる古園石仏へ。
古園石仏は、大日如来像を中心とした曼荼羅を構成しているのだそうです。
説明板に載っている写真は昭和30年代のものですが頭部が落ちているなど破損が酷かったので、昭和から平成にかけて修復工事が行われ、今のこの状態まで回復しました。

このあたりは巨岩の上に積もった土が森を形成しているように見受けられますが、石仏のすぐ脇ではツタが岩を覆い隠すほど蔓延って苔むして、きっと人の手が入らなければすぐに埋もれてしまい、石仏を維持することはできないでしょう。
山岳仏教の衰退とともに、約千年も風雨に曝され忘れ去られてしまった石仏群。
阿蘇山からの火砕流が溶結した凝灰岩に掘られているので、たいへん脆く、この状態まで修復できるくらい遺っていたことは奇跡かも知れません。

この他にも、周辺には法篋印塔(ほうきょういんとう)、蓮城法師像(れんじょうほうしぞう)、真名長者夫婦像(まなのちょうじゃふうふぞう)などの石像が点在しています。
また石仏公園ハス畑も広大で、7〜8月はさながら極楽浄土のようだと謳われておりますよ。

 

(松本しう周己)

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この記事の著者

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松本しう周己

高校は美術科を卒業し、印刷会社のデザイン部に就職するも2年足らずで退職してフリーターに。主にコンサート・イベント関係で全国を駆け回る。その後、なぜかウェブデザインの道へ。仕事としては車との接点はまったくないが旅行好きでドライブ好き、20年前から道の駅などで車中泊していた。
「ネットを通して仕事ができれば、どこにいても構わないのでは」と、2005年、ついにキャンピングカーを自宅兼仕事場としてしまった。根は機械オンチなため、日進月歩の日々。
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