シフトはレバーからボタンにシフトする【F2P Vol.13】

シフト苦手ヤングとEV出身ベテラン。ATしか手はない

毎度、フルーイお話で。1950年代半ば、都心大手町にあった米極東空軍自動車輸送部の通訳をしていました。丁度その頃、軍用車が戦後開発の新型に交代していました。小はジープから6輪トラックまで、戦中型はノンシンクロ、若い兵士たちが大汗でガリガリやっていました。

GMC M135 6輪トラック。
GMC M135 6輪トラック。

新型ジープとダッジ4×4は、部分シンクロになりましたが、GM製M135・6×6は、一挙にATに跳んだのです。メカニックとドライバー教育用簡易版資料(原版は分厚すぎ)をつくらされました。東京近郊公道走行なので、フロアのミニ塔から生えた「セレクターを絶対の ローに入れてはいけない」なる注意を大書しました。

M135のフロア突出ATセレクターレバー。
M135のフロア突出ATセレクターレバー。

 

 

1960年代初半、私の足掛け3年在英期は、ロンドン市交通局の2階バスが新型への交代中でした。前回記したプリセレクター・トランスミッションRT型バスから2ペダルATのRM “ルートマスター”に代わりました。米軍用車M135は新兵のMT不慣れが理由でしたが、ロンドンバスの場合は、間もなく廃線となる一部路線のベテラン・ドライバー対応です。彼らはプリセレクターどころか、まったくギアチェンなしで走るトロリーバスしか運転したことがないのです。

往時ロンドン市街を走っていた2階建トロリーバス。直流2本の架線からエネルギーを受け走る電気バス。いま欧米のいくつかの都市で復活している。
往時ロンドン市街を走っていた2階建トロリーバス。直流2本の架線からエネルギーを受け走る電気バス。いま欧米のいくつかの都市で復活している。

ただ、 初期RMのATは、かなりの難物だったそうです。オートマに任せると、ギクシャクどころか、シフト衝撃が発生します。最良の方法は、右足で回転を合わせ、短いコラムレバーでシフトならぬマニュアルセレクトアップ、ダウンでした。

RMは、とっくの昔、路線現役は引退したが、観光チャーター、プロモーションで動いている。
RMは、とっくの昔、路線現役は引退したが、観光チャーター、プロモーションで動いている。

初代RMが路線から引退して久しいのですが、いまでも観光チャーターとして動いています。また、世界各地で観光、プロモーションなどで見られます。

一時期、ロンドン市バスは連結型になったが、長大な車体にサイクリストが挟まれる事故が発生した。自転車愛好推進派ボリス・ジョンソン市長の公約が新型“ルートマスター” 。
一時期、ロンドン市バスは連結型になったが、長大な車体にサイクリストが挟まれる事故が発生した。自転車愛好推進派ボリス・ジョンソン市長の公約が新型“ルートマスター” 。

 

 

 

第2次大戦後、急速にATが普及したアメリカ乗用車は、コラムセレクターが大半でした。メルセデスがSクラスで短いコラムレバーを出した時には(パドル併用)、面、いや手くらったものです。

パッカード・”ウルトラマチック(¡)”ボタン・セレクター。
パッカード・”ウルトラマチック(¡)”ボタン・セレクター。

50-60年代のアメリカにも革新派はいました。フォードのエドセル、パッカードは、操作性の容易さを狙ったボタン式セレクターを採用しました。まったく不人気で終わりました。

フォードの エドセルは、もっと手近なステアリングホイール真ん中ボタンを採用。
フォードの エドセルは、もっと手近なステアリングホイール真ん中ボタンを採用。

 

ジャガーがイギリスの小さな町の秘密基地でC-XFコンセプトを見せた時には、いささかびっくりしました。スイッチオンでダイアルセレクーが、せり出しました。生産型ジャガーの特徴となりました。

ジャガー初代XF予告のコンセプト、C-XFのダイアルセレクター。まだ引っ込んだ状態。
ジャガー初代XF予告のコンセプト、C-XFのダイアルセレクター。まだ引っ込んだ状態。

電気セレクトとパドルシフトでATセレクターの位置、操作方法に自由度が広がりました。いま、ボタン式が増殖しています。

最新アストン・マーティンのコンソール横並びボタン。
最新アストン・マーティンのコンソール横並びボタン。

プリウス用にはアフターマーケット・ボタンパネルがあるそうです。個人的にはフロアコンソール・レバー派ですが、まぎらわしいチビレバーよりボタンという意図は判ります。

アキュラ(ホンダ) NSXのフロアコンソールのくねり配置。
アキュラ(ホンダ) NSXのフロアコンソールのくねり配置。

歴史は繰り返すといいますが、今度は定着するでしょうか。

そろそろ、お後がよろしいようで。

(山口 京一)