シフト苦手ヤングとEV出身ベテラン。ATしか手はない
毎度、フルーイお話で。1950年代半ば、都心大手町にあった米極東空軍自動車輸送部の通訳をしていました。丁度その頃、軍用車が戦後開発の新型に交代していました。小はジープから6輪トラックまで、戦中型はノンシンクロ、若い兵士たちが大汗でガリガリやっていました。
新型ジープとダッジ4×4は、部分シンクロになりましたが、GM製M135・6×6は、一挙にATに跳んだのです。メカニックとドライバー教育用簡易版資料(原版は分厚すぎ)をつくらされました。東京近郊公道走行なので、フロアのミニ塔から生えた「セレクターを絶対の ローに入れてはいけない」なる注意を大書しました。
1960年代初半、私の足掛け3年在英期は、ロンドン市交通局の2階バスが新型への交代中でした。前回記したプリセレクター・トランスミッションRT型バスから2ペダルATのRM “ルートマスター”に代わりました。米軍用車M135は新兵のMT不慣れが理由でしたが、ロンドンバスの場合は、間もなく廃線となる一部路線のベテラン・ドライバー対応です。彼らはプリセレクターどころか、まったくギアチェンなしで走るトロリーバスしか運転したことがないのです。
ただ、 初期RMのATは、かなりの難物だったそうです。オートマに任せると、ギクシャクどころか、シフト衝撃が発生します。最良の方法は、右足で回転を合わせ、短いコラムレバーでシフトならぬマニュアルセレクトアップ、ダウンでした。
初代RMが路線から引退して久しいのですが、いまでも観光チャーターとして動いています。また、世界各地で観光、プロモーションなどで見られます。
第2次大戦後、急速にATが普及したアメリカ乗用車は、コラムセレクターが大半でした。メルセデスがSクラスで短いコラムレバーを出した時には(パドル併用)、面、いや手くらったものです。
50-60年代のアメリカにも革新派はいました。フォードのエドセル、パッカードは、操作性の容易さを狙ったボタン式セレクターを採用しました。まったく不人気で終わりました。
ジャガーがイギリスの小さな町の秘密基地でC-XFコンセプトを見せた時には、いささかびっくりしました。スイッチオンでダイアルセレクーが、せり出しました。生産型ジャガーの特徴となりました。
電気セレクトとパドルシフトでATセレクターの位置、操作方法に自由度が広がりました。いま、ボタン式が増殖しています。
プリウス用にはアフターマーケット・ボタンパネルがあるそうです。個人的にはフロアコンソール・レバー派ですが、まぎらわしいチビレバーよりボタンという意図は判ります。
歴史は繰り返すといいますが、今度は定着するでしょうか。
そろそろ、お後がよろしいようで。
(山口 京一)