生産台数554台、“走る宝石”「シルビア(CSP311型)」の美しいデザインはどのようにして生まれたか【歴史に残る車と技術023】

■クリスプカットで形成された流麗なスタイリングで魅了

1965年にデビューした初代シルビア。美しいクリスプカットから走る宝石と呼ばれた
1965年にデビューした初代シルビア。美しいクリスプカットから“走る宝石”と呼ばれた

日産自動車初のパーソナルクーペとして、1965年にデビューした初代「シルビア」。ドイツ人デザイナーの指導の下、出来上がったクリスプカットの流麗なスタイリングは“走る宝石”と称されました。

その美しいボディを実現するために初代シルビアはハンドメイドで仕上げられた部分も多くあり、高価なモデルとなりました。


●1960年代、日産が世界に通用する高級クーペの開発に着手

1960年代、日本の自動車メーカーは完全国産化を果たし、量産体制を確立しつつありました。ダット自動車製造を引き継いで1933年に創業した日産自動車は、ダットサンシリーズに続いて1959年に本格的な大衆車「ダットサン・ブルーバード」、1962年にスポーツカー「ダットサン・フェアレディ」を市場に投入し、自動車メーカーとしての基盤を確立しました。

1962年に登場した本格オープンスポーツのダットサン・フェアレディ
1962年に登場した本格オープンスポーツのダットサン・フェアレディ

この状況下で日産は、既存モデルにはなかった当時欧米で人気を博していたクーペスタイルの車の開発に着手。世界に通用するクーペを目指した日産は、そのデザインの指導をドイツ人デザイナーのアルブレヒト・フォン・ゲルツに依頼したのです。

ゲルツは、BMW507や503をデザインし名を馳せていました。ゲイツの指導を仰ぎ、デザインの新しい手法やクレイモデルの製作工程などを学びながら出来上がったのが「ダットサンクーペ1500」であり、後に市販化された初代「シルビア」です。

●1964年東京モーターショーで華麗にデビューしたシルビア

東京オリンピックが開催された1964年は、それまでの全日本自動車ショウが、東京モーターショーに名前を変えた年でもありました。

クリスプカットと呼ばれた流麗なボディが評判になったダットサンクーペ1500(市販されてシルビアに)
クリスプカットと呼ばれた流麗なボディが評判になったダットサンクーペ1500(市販されてシルビアに)

この年のモーターショーでは、数々の華やかなスポーツカーが脚光を浴びました。参考出展された世界初の量産ロータリーエンジン搭載車のマツダ「コスモスポーツ」が注目の的でしたが、後に「トヨタスポーツ800」になる「パブリカスポーツ」や「ホンダスポーツ」などが市販車に近い形で並べられ、身近になった憧れのスポーツカーを目の当たりにできた大盛況のモーターショーでした。

そのような中で日産が展示したのは、“将来のカーデザインを示唆するカスタムカー風のモダンなスタイリングが特徴”と謳った「ダットサンクーペ1500」で、居並ぶスポーツカーにも負けない注目を集めました。

このクーペに対する観客の熱い反応をみた日産は、自社のイメージリーダーになると確信し、翌年シルビアの名で市販化にゴーサインを出したのです。

●流麗なスタイリングでパーソナルクーペの先駆け的存在に

ゲルツの指導の下、日産の造形部で仕上げられたシルビアは、最先端の流体力学を取り入れてボディパネルの継ぎ目をなくし、さらに曲面ガラスを採用。そのようにして出来上がった、鋭角的に削ぎ落した多面で形成された“クリスプカット”と称するボディラインは、際立った美しさを持っていました。

シルビア(CSP311型)の主要なスペック
シルビア(CSP311型)の主要なスペック

シャシーは、「フェアレディ1600(SP311型)」用が流用され、フレームはXメンバーのラダータイプ、フロントサスペンションがダブルウィッシュボーン、リアが半楕円リーフ式。パワートレインは、90PSを発揮するSUツインキャブを装着した1.6L直4 OHVエンジンと4速MTの組み合わせでした。

外観の美しさに加えて、インテリアについても高級感を演出。インテリア全体にソフトな発泡レザーを採用し、シートの生地には本革を、ステアリングホイールのグリップ部はウッド、スポークはクロムメッキと、当時の日本に存在しなかったパーソナル(高級)クーペの先駆け的な存在になりました。

●美しいボディを実現するためにセミハンドメイドで製作

流麗なスタイリングがゆえに、課題はボディの製造工程でした。当時のプレス加工では、クリスプラインのボディを成形するのが難しく、最終的にはボディ専門の協力会社に依頼して、専用工場でボディの多くの部分を熟練工による手叩きで仕上げることになりました。

工場のラインによる量産品というより工芸品に近く、価格は120万円と高額に。ちなみに、当時の大卒の初任給は2.3万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で1200万円に相当します。

フラッグシップだった「セドリック」の115万円よりも高額、大衆車の「パブリカ」は36万円でしたのでその3倍以上であり、際立った美しさで“走る宝石”とまで称されたシルビアでしたが、結果として販売台数は約3年で554台にとどまったのです。

●シルビアが誕生した1965年は、どんな年

1965年には、スズキの「フロンテ800」、トヨタの「トヨタスポーツ800」、日野自動車「日野コンテッサ1300クーペ」と日産の「プレジデント」も登場しました。

1965年デビューのトヨタスポーツ800 ”ヨタハチ”
1965年デビューのトヨタスポーツ800 ”ヨタハチ”

フロンテ800は、スズキ初の小型車かつ日本初のFF小型車で、国産車初のサイドウインドウに曲面ガラスを使った美しい曲面ボディの2ドアセダン。

トヨタスポーツ800は、“ヨタハチ”と呼ばれた2シーターのコンパクトスポーツカーで、1965年第1回全日本自動車クラブ選手権のGT-Iクラスで優勝するなど、レースで輝かしい成績を記録。

日野コンテッサ1300クーペは、ミケロッティデザインの流麗なスタイリングとRR(リアエンジン・リアドライブ)レイアウトが特徴で、国内外レースでも活躍しました。

プレジデントは、当時国内最大の車両とエンジンサイズを誇った最高級車、政府の要人などショーファーカーとして重用されました。

1965年デビューの日野・コンテッサ1300クーペ
1965年デビューの日野・コンテッサ1300クーペ

その他、この年には湯川秀樹氏に続いて朝永振一郎氏が日本で2人目のノーベル賞を受賞。ソニーが世界初のビデオレコーダー「CV-2000」を、大塚製薬が「オロナミンCドリンク」を発売し、TVアニメ「ジャングル大帝」の放送が始まりました。また、ガソリン51円/L、ビール大瓶120円、コーヒー一杯71.5円、ラーメン60円、カレー120円、アンパン12円の時代でした。

その流麗で工芸的なスタイリングで人々を魅了し、日本車でもここまで美しいスタイリングの車が製造できることをアピールした初代シルビア。日本の歴史に残る車であることに、間違いありません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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