ロードスター軽井沢ミーティング2022「前夜祭」の濃ゆい内容とは?

■奇跡のイベントロードスターミーティングの軌跡

総勢191名参加の盛大な前夜祭が軽井沢プリンスホテルで開催
総勢191名参加の盛大な前夜祭が軽井沢プリンスホテルで開催

毎年、5月の最終日曜日に開催されてきた「ロードスター軽井沢ミーティング」。参加したことのある、見たことのある人なら、日本にこんなたくさんのロードスターがいるんだ、っていう驚きと、日本車を愛する人がこんなにいるんだという喜びを感じたのではないでしょうか。

30年の歴史を漂わせるロードスター軽井沢ミーティングのバナーフラッグ
30年の歴史を漂わせるロードスター軽井沢ミーティングのバナーフラッグ

そんなロードスターミーティングですが、2022年も無事に開催されます。そして今回は30回目となる節目に当たります。その前日には、毎回「前夜祭」が行われてきたのですが、このところ前年までの2年間は、コロナ禍の影響により前夜祭は開催されませんでした。まあ、ここ2年間も感染者数のちょうどピークを避けることで本番のミーティングができてきただけでもすごいことなんですが。

軽井沢ミーティングについて少しお知らせすると、その特徴はオーナー、ファンらによる自主的な自分たちのミーティングであるということです。

「オーナーズミーティングが自分たちでやるってのは当たり前でしょ」とも言えますが、2022年5月29日のミーティングは、ロードスター1410台、来場者2200名が参加する規模のイベント。これを良い季節の軽井沢で行うわけですから、個人のちょっとした思い付きで集まりました、というわけにいかないのはおわかりいただけるでしょう。

個人的にもロードスターオーナーでないのですが、このミーティングは単一車種で集まる台数としても世界最大級であり、例えばN社の〇〇〇〇〇フェスティバル、T社の〇〇〇レーシングミーティングなどメーカー主導イベントに比べても生い立ちから稀有であり、東京オートサロンなどショップ中心から始まったスゴいものを見せるイベントともまったく異なり、その生態系を楽しみにしてほぼ毎年見に行ってきました。

ロードスター、そして平井初代主査への愛を語る貴島さん
ロードスター、そして平井初代主査への愛を語る貴島さん

さて、前夜祭に話を戻すとその内容はファンによるファンのためのものであるには間違いないのですが、メーカーであるマツダも「お手伝い」という立場で参加しているようです。

ロードスター開発者レジェンドの貴島孝雄さん
ロードスター開発者レジェンドの貴島孝雄さん

今回、軽井沢ミーティング2022前夜祭のメインとも言えたのが、言わずとしれたロードスター開発者レジェンドのお一人、貴島孝雄さんによるロードスター愛への「講義」。

講義する貴島孝雄さん
講義する貴島孝雄さん

詳しく説明するとめちゃくちゃ長くなるので割愛しますが、ロードスターが生まれる経緯において初代NAロードスターの開発主査である平井敏彦さんを中心にいかにしてロードスターを生み出したか、のストーリーが語られ、ロードスターのおかげで「みんなが笑顔になれる」ことへの感謝をオーナーたちとともに共有し、参加者は聴き入っていたのでした。

齋藤茂樹主査を始めとしたマツダ社員
齋藤茂樹主査を始めとしたマツダ社員

その他にも、ロードスターの現在のチーフエンジニアである齋藤茂樹主査を始めとした現在のNDロードスターに関わるマツダ社員も参加。

福田成徳さんがデザインしたイラストの手ぬぐい
福田成徳さんがデザインしたイラストの手ぬぐい

初代ロードスターにも大きく関わった初代マツダデザイン本部長である福田成徳さんがデザインしたイラストの手ぬぐいがじゃんけん大会でプレゼントされたりと、和やかな雰囲気ながらも、他ではなかなか味わえない貴重な2時間をファンたちとともに味わわせていただきました。

全国のロードスターオーナーズクラブの取りまとめ役の水落さん(右)
全国のロードスターオーナーズクラブの取りまとめ役の水落さん(右)

こうした会が催されるのも、マツダがファンとともに共存すべきとして生まれたM2の担当であった水落正典(当時はマツダ社員。現RCOJ=ロードスター・クラブ・オブ・ジャパン代表)さんによるところが大きいわけです。M2の存続をマツダが経営の影響から断念し、その意志を個人的に受け継いだ水落さんが繋げていくことで、現在に至っていると言っても間違いでないでしょう。それも、メーカーに所属したM2や水落さんでない、任意団体や個人が続けてきたからのパワーに他ならないと確信しますし、その片鱗に接することができ、イチ自動車好きとして幸せに感じます。

参加台数の増加に水落さんは(笑顔で)頭を悩ませていましたが、日本が生み出した車種で日本人や世界の人が笑顔になれる、そんなの望外の幸福であり、そんな車種は世界中他にはないのではないでしょうか。

平和をどこよりも願う広島から生まれたクルマだから起きた奇跡なのかも知れません。

(小林和久)

この記事の著者

小林和久 近影

小林和久

子供の頃から自動車に興味を持ち、それを作る側になりたくて工学部に進み、某自動車部品メーカへの就職を決めかけていたのに広い視野で車が見られなくなりそうだと思い辞退。他業界へ就職するも、働き出すと出身学部や理系や文系など関係ないと思い、出版社である三栄書房へ。
その後、硬め柔らかめ色々な自動車雑誌を(たらい回しに?)経たおかげで、広く(浅く?)車の知識が身に付くことに。2010年12月のクリッカー「創刊」より編集長を務めた。大きい、小さい、速い、遅いなど極端な車がホントは好き。
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